無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

いつまでも本の中にいたい

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本を読んでいる間は、少なくとも活字を目で追って頭を働かせている間は、考えたくないことを考えなくて済む。見たくもない現実から目をそらすことができる! ファンタジーならドキドキワクワク、恋愛なら一緒になってキュンとしたり、ミステリーならどこかに叙述トリックが潜んでいないか思わず注意深く読み返してしまったり、ノンフィクションなら世界のどこかに実在している誰かさんに思いを馳せたり。夢中になればなるほど、現実からは遠ざかることができる。ああもっと、非日常をちょうだい。本の中の人たちは、私が本を手にとる時は必ず応じてくれる。知らない世界を見せてくれる。本を閉じている間どうしているのかは知らない。だけど、本を読んでいるときは必ずドラマを演じてくれている。私だけのために。いつだってそう。昼でも夜でも、私が本をひらく時には必ず付き合ってくれる。速く読んでも遅く読んでも、ちゃんと私のペースに付き合ってくれる。途中で休憩もできる。それに、どこにでも持ち運ぶことができる。漫画もいい。だけど、時間つぶしとしてコストパフォーマンスが優れているのは絶対に本のほうだ。漫画はすぐに読み終えてしまう。

 

本をただの現実逃避の娯楽の道具に使うなんて、読書家の人から怒られてしまうだろうか?だけど私は私の人生しか生きられないから、自分以外の誰かの追体験をすることとして本を読むよ。これが私の読書。

ちろの葬儀(片山家の場合)

先日、実家の猫が死んでしまったことは2つ前の記事にて書いた。「ちろ」という名前の白い猫で、15年と4か月も生きた。私が11歳の頃にうちに来たので、思春期もそれ以降もずっとそばにはちろがいた。

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↑亡くなる日の朝に撮影したもの。本当にかわいい家族でした。今もまだ、とてもさみしい。

 

で、ひとしきり泣いた。家族みんながちろの亡骸と対面した。死後硬直というやつなのか、ちろの体も少しずつ固くなってきた。さてどうしよう、と。片山家は、満場一致で裏庭の畑のそばに埋葬しようということになった。誰か(たぶん弟)が「ちろ、どうするん」みたいなことを言ったが、父ちゃんの「そんなもん、うちに埋めんでどうするがや」という言葉で終わった。裏庭のイチジクの木の下に、ほどよいスペースでほどよい土の場所があったので、スコップで80〜90センチほど深く掘って、その中にバスタオルに包んだちろを横たえた。頭を家のほうにした。体のまわりに切り花をたくさん並べて、いつも食べてたゴハン(カリカリ)をティッシュにくるんだものを口のそばに置いて、ちろバイバイって最後のお別れをした。それから、掘り出したぶんの土をかけていった。顔のところには直接土がかからないようにそっとティッシュをかぶせて、その上から、なるべく軽そうで柔らかい土を少しずつ乗せた。掘った穴はおおむね元に戻ったけど、ハクビシンとかタヌキとか野良猫とかの野生動物が掘り返してしまう可能性があるから、さらに少し高くこんもりと土を盛った。そこに、お盆のお墓まいりセットのロウソクと線香を土に直接突き刺して、手を合わせた。そして今、初七日なので毎日そこのお墓に手を合わせに行ってる。片山家では、そんな感じ。

 

……ペットとのお別れは、こういう形なのが当たり前だと思っていた。ところが、イマドキはそうでもないらしい。

ちろを裏庭に埋葬した日、午後から友達2人と会う予定があった(ちろが死んでしまったことを事前に連絡してたのもあり、いろいろ気をつかってくれて助かった)。

私「ごめんね午前中、時間作れんくて。お昼頃ちろ裏の畑に埋めたわ」

友人H「うん。でもさ、LINEでも言っとったけどさ、まさか本当に埋めるとはね」

友人M「うん」

私「エッ?」

H「イマドキさぁ、ほら、ペットセレモニーみたいなさ、そういうのあるやろ」

M「北陸ペット葬儀社(※そういうのがこのあたりの地域にはある)とかCMやっとるよね」

私「まあ、私もちょっとそれ思ったけどさ」

そう、あるのだ。そういう機関が。

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↑地元ではCMやってるんだよねコレ

友人Hは愛犬が死んだとき、火葬してお骨を拾ったとのことだった。Mは「まぁでも、もしウチだとしても畑に埋めるかなあ」と言っていたので、各ご家庭の価値観の違いなんだと思う。

もしうちに、裏庭とか畑みたいな、敷地内にそういう場所がなかったら? どうしてただろう。たぶんこういうところに行って火葬してたと思う。じゃあ庭も畑も田んぼもない、都会に住む人は、ペットが死んだらどうしてるんだろう?

動物は遺言を残すことができない。「こうするのがあのコにとっていちばん幸せだから」は人間の勝手な思い込みなのかもしれない……。とりあえず家の裏のイチジクの木の下にちろは眠っているので、帰省してくるたびに手を合わせることができる。ちろ、本当は火葬を希望してたんだったらゴメンね……化けて出てこないでね……。

わかばとechoにご用心

「喫煙者は喫煙者でも、特に『わかば』と『echo』を吸ってるバンドマンには引っかかっちゃダメよ」と、昔に新宿のモーションというライブハウスで対バンしたお姉さんが教えてくれた。なんでも、その2つの銘柄は、他のタバコを作る際に生じたカスみたいな部分を集めて作られているものらしい。つまり、美味しくない。しかし、安い。普通の美味しいタバコより遥かに安く買えるタバコらしい。したがって、わかばやechoを吸っている人は、(よっぽどそのマズイ味が好きとかでない限り)普通の美味しいタバコを買う金が無いと考えるのが妥当だ。じゃあ吸わなきゃいいのに、ニコチン中毒だからタバコをやめられなくて、たとえマズくても安いのなら、と手が伸びる……

……みたいなカラクリ。お姉さんは「わかばかechoを吸ってるバンドマンは大抵貧乏だよ。付き合うなら、気をつけなね」と私にアドバイスをくれたのだった。その話を聞いてから、人の吸ってるタバコの銘柄に興味をもつようになった。喫煙者の友達に「わかばとかエコーって、吸ったことある? 美味しい?」としばしば尋ねてみると、「ゲロマズい」「アレを美味いと思うやつは味覚が狂ってる」などと散々な感想が返ってきた。興味本位でそれらを吸ってみたことがあるという人は結構いるのかもしれない。

大学の先輩の影響で、私もタバコを吸っていた時期がある。煙を肺まで入れずに、キャスターの甘さとか、メンソールの香りとか、そういうのだけちょっと味わってすぐ吐き出す。いわゆるファッション喫煙だ。タバコの箱とライターを小さなポーチに入れて、お守りみたいに持ち歩いていた。ナイフでも隠し持ってる気分だった。これがあれば私は大丈夫だと思っていた。喫煙所に行く先輩たちの仲間入りできたみたいで嬉しかった。喫煙所でしか出てこないような秘密の話題があると思っていた。他にも嫌なことがあったら吸って、今私はタバコを吸っているという事実に浸った。先っぽから少しずつ燃えて、灰になった部分をトントンとして落とす動作が好きだった。

 

久しぶりに買ってみようかなあ、タバコ

8/14

実家の猫が死んでしまった。こっちに着いたのは今朝で、あんまり調子はよくなかったみたいなんだけど昨日はペースト状のごはん買ってきたらちょっと食欲取り戻してて、でも今朝は何も飲まず食わずでぐったりしていた。たまに起き上がって歩こうとしても後ろ足がふらついて、すぐにまたゴロンと横になってしまう。いつもは爪を切ろうとして足を触ったらすぐに嫌がるのに、それもなすがまま。スポイトを買ってきて水を飲ませたりしてたけど、22時頃、母ちゃんが「もう息するのもつらそう」というので覗き込んだらケホケホと咳き込みはじめた。黒い液体を吐いてた。もう口も半開きになって、目はたぶん見えてなかった。それでだんだん息が止まった。もうだめなんだと思って「ちろヤダよ」って私が泣き出したら、母ちゃんが「ようがんばったやん、ちろ、もう次に生まれてくるがも決まっとるからね、神様とこ行くがやね」って体を撫でてあげた。目が開きっぱなしだったから、無理やり閉じてやった。いつも撫でてあげたときの「気持ちいい〜」の顔にしてやった。

結果的に父ちゃん、母ちゃん、私の3人で看取った。ちろは、私が帰省してくるのを待っててくれたんだと思う。しかも夜の、家に人がいる時間帯に逝ってしまうとは、偉いよ。いろんな部分で乱暴者で、いつも困らされていたけど最後は本当にお利口さんだったよ。本当にすごいタイミングで力尽きたと思う。

ちろは、11歳のときに里親探しのイベントで連れてきた。初対面のときは、「え〜、シマシマ模様とかないじゃん、つまんない」と思っていたけど今では白猫だけじゃなく白い犬もシロクマも、白い動物みんな大好きになった。ちろのおかげだ。小5から今の私になるまで、大学進学のタイミングで実家を離れはしたけど、若者の私のそばにはいつもちろがいた。SNSやブログによく写真を載せるもんだから、ちろに実際に会ったことがない友達までちろのことを覚えて、話題にしてくれた。実家を離れてからも、実家に帰ればいつもちろがいた。正直、心のどこかで、ちろはまだまだ生きると思っていた。15年も一緒にいた家族がひとりいなくなってしまった。ひとしきり泣いたけど、ちろ関係の物の整理とかしてく中でまだまだ泣くんだと思う。

 

時の流れは東京にも富山にも平等だ。去年から、じいちゃんは寝たきりになってしまった。あんなに畑仕事を元気にこなしていたのに。私が帰ってくる前、じいちゃんは「俺が先かちろが先か」って冗談を言ってたらしいけど、ちろが先だったね。帰ってきたぞーとじいちゃんの寝床を覗くと「さゆりお前、丸くなったなあ」(太った)と言われた。そんなん言われんくてもわかっとるから!  ずっと前、じいちゃんが畑仕事できなくなる直前頃、畑で腰掛けてじいちゃんと話した。そのときのことを書いたブログがたぶんこれ→怖い | 無限ワンアップ  なんだけど。こうして世代交代していくんだなって思う。母方のばあちゃんは4月に亡くなった。それで母ちゃんの両親は二人共亡くなった。順番順番にみんな、いなくなる。そうして、いつか私の番がくる。そうやって命が回ってる。私の将来の夢はお母さんになることなんだけど、実家にくるたびに、いっそう強く思う。親族とかの、先立つ人を見送るのはめちゃくちゃさみしいしキツいけど、あなたの血が私にも流れてるんだって思うと、不思議な気持ちになる。私の血の中にじいちゃんもばあちゃんも父ちゃんも母ちゃんもいるんだなって思う。それって軽く最強な気持ちになれる。自殺とかしちゃったら、私に流れてる血筋の人たちまで殺してしまうっていうか、つまりなんとなく失礼な気がする。笑

 

なんにせよ、あの世に知り合いが増えてくのは心強いよね。ちろ、長い間、うちにいてくれて本当にありがとう。ずっと忘れんし、大好きだよ。おやすみ。

音ゲーが致命的にヘタクソ

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友達というか後輩、の、妊娠報告をきいて、後頭部に落雷くらった気分。気が動転したので帰宅してとりあえず手帳ひらいてみたの図。大丈夫だ、わたしは少なくとも9月まではライブの予定があるから生きている理由がある。落ち着こう。素数を数えて落ち着こう。1、2、3、5、7、11、13、17、………19? 23? 29?

明日と明後日はライブ。相乗効果でチェキたくさん出ろ、CD売れろ。黒字じゃ黒字、コラァ。頼む。ワンマンライブも、CD全国流通も、一見すると華々しいことだけど、ぶっちゃけ、どちらも金さえありゃぁできることで、大切なのは、いざワンマンやったらどんな人たちがくるのか、全国流通したところでCDはどのくらい売れるのか、という点なのだった。わたしね、5月のガールズトークフェスティバルでわたしの演奏時間きっと誰もいないんだろうフロア予想してたら普通にそこそこ人がいてくれたの、じっと聴いてくれてたの、わたしが演奏終えた途端に物販に列できてたの、すっごく嬉しかった、それが忘れられん。やらなきゃなって思った。片山さゆ里には音楽の才能もセンスもない。あるのは執念とトンチだよ。

あーそういえばわたしはいわゆる音ゲーと呼ばれるものが致命的にヘタクソ。あんなもんさぁリズムに乗ってハイハイと叩けばいいものを、視覚情報にまどわされてしまって、たとえば太鼓の達人だったら横から流れてくるドンとカッを目で追いすぎて完全にミートする瞬間に叩こうとする、そういう場合大抵タイミング的には遅い。でも目で追ってしまう。そのあたりの、視覚情報と音楽のリズムを合わせるのが、死ぬほどヘタクソなので、太鼓の達人の「かんたん」レベルすら満足にできない。あんなに簡単そうに見えるのになんでうまくできないんだろう。もうそういう病気なんだと思う。フルコンボだド〜ン。

13日の夜から富山に帰る。東京にいるわたしにも、富山にいる家族にも、時間は平等に流れている。弱いまま開かれた世界へ、ほんのわずかな可能性で、もう富山には戻らないかもしれないし、東京には戻らないかもしれないことだってある。さようなら。わたしが乗るときに限って、夜行のバスが事故りませんように。いつものwillerだけど。

2013年頃に勉強教えるバイトしてた立川の子ども強制収容所、ホームページ見たら、2013年当時は1年目だった同い年の社員さん、今見たら、所長に出世してた。所長あいさつのところに顔写真が。ということは当時の所長はもっと出世して本部とかに行ったってことだと思う。幸せって何なのかわからないけど、わたしはこういう、つらいけどやりがいがあるひとつのことに打ち込むっていう幸せの感覚は大学受験で使い切ったから、もうわからない。生まれ変わったら真面目に大学を出て、学校の先生になって、仕事が生きがいって感じの人になりたい。生まれ変わったらそうしたい。今の記憶を残したまま、挫折も失敗も全部リセットされないまま、死んでまた生まれたら、次はもっとうまくやれるのにって思う。なんか、今の自分もなかなかエキサイティングな道筋を歩いてる最中だけど、違ったタイプの幸せも体験してみたかったなって話。無理だけどね。だからそういうのは、本を読んだり音楽をきいたり映画をみたりして、いろんな人の追体験をするわけだけど。

死ぬことばっかり考えてしまうから、毎日ずっと、明日からは全部が余生。先行き困ったら首でも吊ればオッケー。中央線ダイビングも可。余生、つまりボーナスステージ。やること全部が儲けもん。死のう!

彼氏ができてからのあの娘の作品は全部駄作

ちょっと嫌なこと書くから、嫌な予感する人はスクロールせずにここで閉じてね

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これは「カルチャーショック」のひとことで片付けられる話なんだけど、こないだ出た、とあるライブ、本当にがっかりした。クラブでのイベントってどこもこんなもんなんかね? 詳しく書かないけどとりあえず自分の力のなさにがっかりした。主催の人、呼んでくれた人、私の演奏1ミリも聴いてなかったけど、でも、それを振り向かせられんかったのは私の力のなさだ。悔しすぎて、出番終わったら挨拶もせずに帰っちゃった。不義理だから、先帰りますって挨拶くらいして帰ろうと思ってたけど、仲の良い別の演者さんが早口で「別に(そのまま帰って)いいと思うよ」って言ってくれたから、そのまま帰った。何がどうして私が呼ばれたのかわからんくなったし、結果として、何しに行ったのかわからんかった。私のプライドが高いところと、歌小屋で演奏を聴いてもらって当然だと思ってるところは、良くない育ち方をしたとわかっているけど、それを差っ引いても、がっかりした。なんかいろいろ悲しくて悔しくてやりきれなくなった。たぶんイベントの性質が致命的に私に合ってなかった。あとDJタイムっていう文化、嫌いだってハッキリ思った。嫌い。岬たんもDJディスってたけど私もDJ嫌い。理由もまったく同じ、人の曲使って盛り上がってるから笑。ていうか、空白時間を恐れるかのように、何が悲しくて常時爆音で音楽流さんといけんがね。しかも暗くて爆音って、うるさくて雑談できないし、本当に良いことないと思う。知ってる曲が流れるわけでもなし。私は我慢できて20分までだ。ただ、その日来てくれて久しぶりに会った友達が苗字変わってたりしてすごくエキサイトだった。ああ、遠くから来てくれたのに、グダグダな演奏してしまったんが悔しい。帰りに「さゆ里に手紙書いた」って封筒をくれた。家に帰って開けた。内容は、最近どうしてるかとか、そういうたわいない話の中、「さゆりが続けてるのすごい勇気になってる」ってあって、涙ボロボロ出てきた。

工藤ちゃんとのツーマンはとても楽しかった。ご来場のみなさま、本当にありがとうございました。私なんかがね、本当不釣り合いな組み合わせだったと思ってて、工藤ちゃんに好きと言ってもらえるのすごく嬉しいけど恐れ多くもある。さゆりは、そんなに、純なやつじゃないよ。暮らしとか、曲づくりとか、セルフマネジメントとか、活動に関して、工藤ちゃんからのダメ出しがほしい。そのくらいしっかりしてると思ってる。

 

8月のライブ、負けないように折れないように、でも天狗になるのもダメだから、そこそこの自尊心を保ちつつ、その場の反応でやる曲コロコロ変えるなんて馬鹿な真似はいい加減やめて、セットリストはあらかじめきちんと考えて、物販は十分に用意して、

楽しむ。

 

強迫の観念がまず何に関しても強めだから、今はめちゃ食べてるけど、吐かなきゃって観念にちょっとでもがんじがらめになり始めたら、過食嘔吐の癖に落っこちるのは、たやすいと思う。BMIで標準体重を計算したら今のマイナス10キロで、途方に暮れている

痩せてるハゲor髪の毛のあるデブ

ライブをもりもりとやっています。夏たのしいです。

7月、ここまでで特に印象的だったのはポエラボ。詩人とかポエトリーとかスポークンワードの人たちって、ジャンルを問わずかっこいいものは素直にかっこいいと言う、リスペクトをあらわす、そういう文化圏だと感じる、ので、すごく素敵だなあと思う。これからも戦いたいって思う相手がいっぱいいた。みんな強い。そして、かっこいいやつはかっこいい。そういう場所で、私もかっこよくいられたらなあと思って演奏しました。私の一挙手一投足でお客さんの反応が変わる、それを受けて私も変わる。関わって、変わって、また関わって。ナマモノアートの醍醐味を余すことなく謳歌しています。

いよいよ次回ライブは30日の無善寺ツーマン。7月たくさんライブやっちゃったから、めちゃめちゃ集客ができているわけではない。それでも、遠方から来てくれる人もいる。だから全力でやる。工藤ちゃんとは20日の新松戸でも一緒だったんだけど、彼女は、なんというかドライで好きだ。スタッフの方に「最近片山さん、工藤ちゃんとよく絡んでますよね」と言われたが、自ら関わりにいったのはツーマンだけで、あとはイベンターやブッキングの方々がうちらを一緒にすることが多いっていうだけです。笑 私は工藤ちゃんとよく一緒にされるの正直めちゃ光栄なんだけど、謎だ。ぶっちゃけ私でいいのだろうかと思う。下世話な話だけどこないだ生活のやりくりのことについて尋ねてみたところ、工藤ちゃんは音楽活動の収入だけで今暮らしているらしい。すごい。私は工藤ちゃんの足元にも及ばないと思った。そんな工藤ちゃん、9月もすでに2本一緒になるイベントあるや。ツーマン来れない人はそっち来てよ。楽しみだ。あの廃品回収車~♪

 

超不安だから超食べちゃうってな具合で、どんどん太っている。本当にヤバイ。ここ1年で10キロくらい増えた。原因はわからない。あ、よく自炊をするようになったのもちょっと関係あるかもしれない。あ、あと、寝酒の習慣が根付いてしまったからだ。原因それだわ完全に。何かひとつうまくいくと何かひとつうまくいかなくなるとは言ったもので、ハゲが治ったら今度はデブになりました。痩せてるハゲと髪の毛のあるデブ、どっちがいいか? 私は痩せてるハゲのほうが幸せだったかもしれない。結局ないものねだりなんだけど。ってこれ20代女性の悩みか? 字面、どう見ても40代男性の悩みじゃない? ていうかこれでまた抜毛が再発して悪化したらハゲてるデブの出来上がりじゃないですか? あたし一応20代女性だよ? 死にたい! 今日からごはん抜こう…