無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

5回読み返したら次に進める

去年の春から図書館でバイトしてるんだけど、今が閑散期で、プラス、今日はバイトが1人休んだためカウンターから離れられなかったのでカウンターにいる間めっちゃ暇で、Word開いて作詞する(業務用パソコンが目の前にあるので)、それも終わる、それから持参した本読むじゃん、それも終わる、そしたらいよいよすることがなくなって、返却資料の中から手近な本を選んで読んだりするけど全部つまんないので(大学図書館ですし)、わざわざ日本文学の棚まで行って読みたい本を取ってきて(自分の利用カードでちゃんと貸出をして)読んでる。なんかあったっけかな〜と探してみると、最近気になってた「羊と鋼の森」発見! いつのまに入ってたんだろう。最近の日本の文芸作品は全然置いてないうちの図書館も、芥川賞直木賞の作品は必ず入れてるみたいなんだけど、本屋大賞も入れてるのかな? それとも誰かから購入希望(リクエスト)があって入れたかな? 内容は、音楽っていいよなあと思える話だった。これがあれば私は大丈夫っていうものと、これを指標にして進んでいけばいいんだっていう星座のようなものについて考えたりした。私にそういうものはあるだろうか。

あと、本を読むスピードが速くなった気がする。前々から多分、速いほうではあったけど。一時期は病気のせいで、ひとつの文章を5回読み返さなければ次に進めなかった。バイトの契約書も、プリントも、取扱説明書も、ソーシャルメディア利用規約も、夜行バスの予約メールも、友達のブログも。授業のレポート提出も手につかないし、そもそも読書なんてできたもんじゃなかった。その時から思えば今はとても幸せだ。読書は苦しいものじゃないんだ。文字を目で読んで、想像して、頭の中にできあがった景色を見ながらまた次の文字を読んで、そしたら別の新しい景色が広がって、キャラクターが喋って、別のキャラクターがそれに答えて、会話になって。進むほどに世界が色濃くなって、輪郭がハッキリして、景色の移り変わりはどんどん加速して、いつまでも本の中にいたい! 誰にも邪魔されたくない! 病気に関しては、確信はないけど、ここまで読書を楽しめてる今、多分もう大丈夫なんじゃないかと思う。5回って数字に何の理由も根拠もなく、ただ不安に振り回される形で「そうだね」とか簡単な文字列すら5回読み返してたけどホント馬鹿馬鹿しかったな、5回も読み返すのは大切な人へのメールとかだけでいい。

 

絶対最強の

貸出と返却のルーティンワーク、時間がきたらカウンターにたまった資料を配架、あとは資料の書き込みを消しゴムで消したりしてそれでもどうしようもなくやることがなくなったらWordひらいてポエムとか書いてればバイトが終わるよ。できること増やしたいからやっぱり司書の免許がほしい!

 

TwitterとかInstagramとかのそういうメディアで、嫌いな人の顔写真がたまに流れてくる。みんなそれにどうやって折り合いをつけてるのかなって思う。どうやっても私は不快。

 

何を言っても嘘くさい

そう、何を言っても嘘くさいんです。

 

曲つくるのは停滞気味で、急に素敵なフレーズが降臨するなんて都合のいいことあるわけないんだからギターさわって泥臭く進む、それはそれで楽しい。ラブソングを作ろうと思って歌詞を書いてみても、何を言っても嘘くさいからなかなかできない。でも完成したあかつきには、絶対最強のラブソングになると思った。aikoみたいにはなれないけど、aikoみたいな歌ひとつでも作れたら片山さゆ里はお腹いっぱい

ありがてえこってす

今日のライブはお昼だった。お昼というか朝。血圧が低くてツラかった。アイドル色が強めのイベント。呼んでくれる主催の方に、本当に頭が上がらない。今の私には集客力がない。賑わう物販、私のところだけ誰もいない。ひとえに不思議に思ったので、主催の皆山さんに「なんで今日わたし呼ばれたですか?」と尋ねると、「片山さんの音楽が良いと思うからです」との答え。ああそうか、集客力とか知名度とかよりまず大切なことはコレだったなって思った。忘れてた。なんちゅう失礼な質問しとるんや。まずはコレを自信にしなきゃ。これまで間違いなくいいものを作ってきたし、これからも作る。今日は私のお客さんで、学生の女の子がひとり来てくれた。チェキも撮ってくれた。チケット代ちょっと高めだったのに、来てくれてありがとうって思った。

↑ここまでが8/28の日記

 

今日(8/31)は渋谷HOMEでライブだった。調子が良かった。どの出演者もすごく良かった、なんていうかインスピレーションが来まくった。私は東京でJKをやってみたかったけど、東京でJKやってたら絶対に非行に走ってる自信があるから、富山のJKで良かった。それに、富山のJKは楽しかったのだ。対バンのJKはしもとりおちゃんがCDを買ってくれた。価格を300円にして良かったなって思った。ね、高校生って、自由に使えるお金が大人より格段に少ないだろうに、それなのに私のCD買ってくれて、ありがたいなあと同時にちゃんとしたいなあって思った。

 

クビになるかと思ってたバイト、事情が変わってクビにならずに済んだ。3月までは今のとこで働ける。3月から先のこと考えたくないな。それに加えて新しいバイトを始める、今まで全く触れてこなかった「介護」というジャンル。人の厚意で繋いでもらった仕事。私やってみても何もできないかもしれないです、と言うと「それがわかるだけでも収穫だよ」と言ってくれる人のところで働く。私は本当に人の厚意で生きてる。とりあえず、まずは研修に行っていわゆる「仮免」的なやつをとってくる。

お金に余裕ができるとすぐコンビニの変な弁当ばっかり食べちゃう。涼しくなってくる頃だしマロニー余ってるしキムチ鍋でもしようかな

とりあえず死ね

11時台に富山駅発の新幹線に乗って東京に戻ってきた。お金ないけど、仕方なかった。また実家が遠ざかる。父ちゃんに、「おまえ音楽活動、何ていう名前でやっとるがよ」って訊かれたけど、結局うやむやにしてごまかした。また胸を張って話せなかった。次に帰るのは、一体いつになるだろう。年末年始に良い報告のひとつでも出来たら、いいなあ。

最寄りの駅ついたら天気大荒れ。東京に何が起きてるのか分からなかった。駅のキオスクでジャンプ立ち読みしておさまるのを待ったけどダメみたいだったから仕方なく傘買って家に向かった。ジャンプは最終回のBLEACHだけ読んだ。最終回に「あれから何年後」みたいなパターンはよくあるけど、どんな作品も例外なくエモい。家に着くまでに傘が折れて、元に戻って、また折れて、傘の意味をなさなくなった状態で帰宅した。超絶行きたくなかったけど、これのために帰ってきたんだし、仕方なく、予約してた病院に行った。いつもはチャリで行くけど、今日はさすがに電車を使った。

「お酒やめたいです。だけど先生、お酒飲むと眠れるんです」って私が弁解すると、「アルコール依存症の人はみんなそう言うんだよ」って先生は笑った。

帰りにこってり系のラーメン屋に寄って、晩ごはんを食べた。調子に乗って白いごはんも食べてたら、苦しくなって脇腹が痛くなってきた。店を出て、駅ビルに寄って、トイレで吐いた。食べ過ぎで吐くなんて情けないし、何より食べたものに申し訳なくて死にたくなった。でもそれでお腹がちょっとラクになった。それから雑貨屋さんで安くなってたTシャツを買った。

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1000円。お金ないのにこういう衝動買いをしてしまう。

本屋でフラフラ物色した。「せきしろ」さんの「偶然短歌」が本になってるのをうっかり買いそうになった。ほむほむの「短歌ください」の新刊も。コミックスの棚で、昔好きだったあだちとか氏のアライブの新装版を探したけど無かった。その代わりに、「月が綺麗ですが、とりあえず死ね」みたいな衝撃的なタイトルの漫画を試し読みした。

 

明日どうなるかもわからない毎日だ。とりあえず9月からは固定のバイトが再開。だけど多分、9月いっぱいで解雇になる。どうにかなるんだろうか。

いつまでも本の中にいたい

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本を読んでいる間は、少なくとも活字を目で追って頭を働かせている間は、考えたくないことを考えなくて済む。見たくもない現実から目をそらすことができる! ファンタジーならドキドキワクワク、恋愛なら一緒になってキュンとしたり、ミステリーならどこかに叙述トリックが潜んでいないか思わず注意深く読み返してしまったり、ノンフィクションなら世界のどこかに実在している誰かさんに思いを馳せたり。夢中になればなるほど、現実からは遠ざかることができる。ああもっと、非日常をちょうだい。本の中の人たちは、私が本を手にとる時は必ず応じてくれる。知らない世界を見せてくれる。本を閉じている間どうしているのかは知らない。だけど、本を読んでいるときは必ずドラマを演じてくれている。私だけのために。いつだってそう。昼でも夜でも、私が本をひらく時には必ず付き合ってくれる。速く読んでも遅く読んでも、ちゃんと私のペースに付き合ってくれる。途中で休憩もできる。それに、どこにでも持ち運ぶことができる。漫画もいい。だけど、時間つぶしとしてコストパフォーマンスが優れているのは絶対に本のほうだ。漫画はすぐに読み終えてしまう。

 

本をただの現実逃避の娯楽の道具に使うなんて、読書家の人から怒られてしまうだろうか?だけど私は私の人生しか生きられないから、自分以外の誰かの追体験をすることとして本を読むよ。これが私の読書。

ちろの葬儀(片山家の場合)

先日、実家の猫が死んでしまったことは2つ前の記事にて書いた。「ちろ」という名前の白い猫で、15年と4か月も生きた。私が11歳の頃にうちに来たので、思春期もそれ以降もずっとそばにはちろがいた。

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↑亡くなる日の朝に撮影したもの。本当にかわいい家族でした。今もまだ、とてもさみしい。

 

で、ひとしきり泣いた。家族みんながちろの亡骸と対面した。死後硬直というやつなのか、ちろの体も少しずつ固くなってきた。さてどうしよう、と。片山家は、満場一致で裏庭の畑のそばに埋葬しようということになった。誰か(たぶん弟)が「ちろ、どうするん」みたいなことを言ったが、父ちゃんの「そんなもん、うちに埋めんでどうするがや」という言葉で終わった。裏庭のイチジクの木の下に、ほどよいスペースでほどよい土の場所があったので、スコップで80〜90センチほど深く掘って、その中にバスタオルに包んだちろを横たえた。頭を家のほうにした。体のまわりに切り花をたくさん並べて、いつも食べてたゴハン(カリカリ)をティッシュにくるんだものを口のそばに置いて、ちろバイバイって最後のお別れをした。それから、掘り出したぶんの土をかけていった。顔のところには直接土がかからないようにそっとティッシュをかぶせて、その上から、なるべく軽そうで柔らかい土を少しずつ乗せた。掘った穴はおおむね元に戻ったけど、ハクビシンとかタヌキとか野良猫とかの野生動物が掘り返してしまう可能性があるから、さらに少し高くこんもりと土を盛った。そこに、お盆のお墓まいりセットのロウソクと線香を土に直接突き刺して、手を合わせた。そして今、初七日なので毎日そこのお墓に手を合わせに行ってる。片山家では、そんな感じ。

 

……ペットとのお別れは、こういう形なのが当たり前だと思っていた。ところが、イマドキはそうでもないらしい。

ちろを裏庭に埋葬した日、午後から友達2人と会う予定があった(ちろが死んでしまったことを事前に連絡してたのもあり、いろいろ気をつかってくれて助かった)。

私「ごめんね午前中、時間作れんくて。お昼頃ちろ裏の畑に埋めたわ」

友人H「うん。でもさ、LINEでも言っとったけどさ、まさか本当に埋めるとはね」

友人M「うん」

私「エッ?」

H「イマドキさぁ、ほら、ペットセレモニーみたいなさ、そういうのあるやろ」

M「北陸ペット葬儀社(※そういうのがこのあたりの地域にはある)とかCMやっとるよね」

私「まあ、私もちょっとそれ思ったけどさ」

そう、あるのだ。そういう機関が。

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↑地元ではCMやってるんだよねコレ

友人Hは愛犬が死んだとき、火葬してお骨を拾ったとのことだった。Mは「まぁでも、もしウチだとしても畑に埋めるかなあ」と言っていたので、各ご家庭の価値観の違いなんだと思う。

もしうちに、裏庭とか畑みたいな、敷地内にそういう場所がなかったら? どうしてただろう。たぶんこういうところに行って火葬してたと思う。じゃあ庭も畑も田んぼもない、都会に住む人は、ペットが死んだらどうしてるんだろう?

動物は遺言を残すことができない。「こうするのがあのコにとっていちばん幸せだから」は人間の勝手な思い込みなのかもしれない……。とりあえず家の裏のイチジクの木の下にちろは眠っているので、帰省してくるたびに手を合わせることができる。ちろ、本当は火葬を希望してたんだったらゴメンね……化けて出てこないでね……。

わかばとechoにご用心

「喫煙者は喫煙者でも、特に『わかば』と『echo』を吸ってるバンドマンには引っかかっちゃダメよ」と、昔に新宿のモーションというライブハウスで対バンしたお姉さんが教えてくれた。なんでも、その2つの銘柄は、他のタバコを作る際に生じたカスみたいな部分を集めて作られているものらしい。つまり、美味しくない。しかし、安い。普通の美味しいタバコより遥かに安く買えるタバコらしい。したがって、わかばやechoを吸っている人は、(よっぽどそのマズイ味が好きとかでない限り)普通の美味しいタバコを買う金が無いと考えるのが妥当だ。じゃあ吸わなきゃいいのに、ニコチン中毒だからタバコをやめられなくて、たとえマズくても安いのなら、と手が伸びる……

……みたいなカラクリ。お姉さんは「わかばかechoを吸ってるバンドマンは大抵貧乏だよ。付き合うなら、気をつけなね」と私にアドバイスをくれたのだった。その話を聞いてから、人の吸ってるタバコの銘柄に興味をもつようになった。喫煙者の友達に「わかばとかエコーって、吸ったことある? 美味しい?」としばしば尋ねてみると、「ゲロマズい」「アレを美味いと思うやつは味覚が狂ってる」などと散々な感想が返ってきた。興味本位でそれらを吸ってみたことがあるという人は結構いるのかもしれない。

大学の先輩の影響で、私もタバコを吸っていた時期がある。煙を肺まで入れずに、キャスターの甘さとか、メンソールの香りとか、そういうのだけちょっと味わってすぐ吐き出す。いわゆるファッション喫煙だ。タバコの箱とライターを小さなポーチに入れて、お守りみたいに持ち歩いていた。ナイフでも隠し持ってる気分だった。これがあれば私は大丈夫だと思っていた。喫煙所に行く先輩たちの仲間入りできたみたいで嬉しかった。喫煙所でしか出てこないような秘密の話題があると思っていた。他にも嫌なことがあったら吸って、今私はタバコを吸っているという事実に浸った。先っぽから少しずつ燃えて、灰になった部分をトントンとして落とす動作が好きだった。

 

久しぶりに買ってみようかなあ、タバコ