無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

「展覧会に飾る絵はこれが私の人生だっていうつもり」

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ちょっとした機会があり、富山県民会館日展をみにいってきた。日展というのは、わからんけど日本各地から美術作品がたくさん展示されてる系の展覧会だ。略して日展だ。知らんけど。ちなみに来場者のほとんどは私より年齢が上のように見えた。あまり若者がくるところではないのかもしれない。

たぶん高校生の頃、偶然にも前売券が手に入って同じ場所に日展をみにきたことがあった。これから大学で芸事を志すつもりだし一応なんとなく行っとこうかな、くらいの気持ちだった。そこで死ぬほど心を奪われた絵があり、物販でポストカードを購入して帰った。その絵は、公園のシーソーの両端の地面がくぼんで、そこにできた水たまりに青空が映っているというものだった。ちなみにそのポストカードは、大切にとっておいたのにどこかへ紛失してしまった。当時の私には美術の素養など1ミリもなく、日本画と洋画の違いもわかっていなかった(今も多分あんまりわかってない)。

今回の日展では、日本画・洋画・彫刻・工芸・書 の5つの分野の作品たちが展示されていた。順路通りに進むとたまたま最初が日本画と洋画だった。最初は作品の大きさにひたすら圧倒された。私の身長、約150cm×150cm、をゆうに超えるデカさの絵。そのうちに、大森靖子の「展覧会の絵」という曲の歌詞【展覧会に飾る絵はこれが私の人生だっていうつもり】を思い出した。みんなそんなつもりで描いてるんだ。絵を眺めて、そんなふうに感じた。どんなきっかけがあってこの絵を描いたんだろう? どのくらい時間がかかったんだろう? 完成したときどんな気持ちだったんだろう? ここにはたくさんの人生が、壁に並んで飾られている。すべてが堂々としている。すごい。すごい。ホントすごいなあ。

とあるクジャクの絵を見ていた。描かれた3羽のクジャクは尾羽を閉じていながらもとても美しい色味と佇まいで、そういえばクジャクってきれいな鳥だよなあと思い出した。すると偶然そこでスタッフの方の作品解説が始まった(マイク結構うるさかった)。その絵を描いた神保さんという方は、クジャクを40年ずっと描き続けているらしい(ちなみに私の中学校の時の理科の先生のお父さんらしいことが判明。つまり相当おじいちゃん)。クジャク一筋40年。すごい。何かきっかけがあって、クジャクに魅入られたのだろうか。でもこの絵をみていると、クジャクにゾッコンになる気持ち、わからなくもない。クジャクが神保さんの人生そのものなのかもしれない。すごい。そしてクジャクきれい。クジャクかわいい。すごい。

 

しかし、私はどうにも美術に明るくない。作品を鑑賞しながらも、くだらないことばかり考えてしまう。脳みそが豆腐でできているので仕方がない。とても悲しい。たとえば

 

(裸婦が描かれてる絵って、やっぱ裸の女の人見ながら描いたんよな? 作者は……男だ、そしたらやっぱこのあと滅茶苦茶えっちなことしたんかな!? だったらヤベー! 裸婦の絵すべてエロく見えるわー! それともすでに妻とかかな? ていうかなんでこういうマジメな絵って裸の人間ばっか描きがちなん? エロ? エロなん? やっぱエロいとみんな見てくれるからなん?)

(うわーーーーようわからんけどこの木のオブジェめちゃツヤっツヤのスベっスベやんけーー触りたい触りたい触りたい触りたい触りたい)

(こんなグチャグチャの絵、私でも描けそうなんやけど! ギャハハ!!)

(この彫刻のネーチャンおっぱいの形キレイやなー!あの青年ちんちん小せえー!モデルの人大丈夫?? 主に人権とか大丈夫???)

(この木彫りの女の人、服着とるのに明らかに乳首立っとるよなあ……とんがっとるし…明らかにそういう彫り方だよなあ……なんで乳首強調したんやろ……作者のフェチかな…ブラくらいさせてやって……)

 

馬鹿を自ら露呈している感は否めないが、以上のような感想を持ちながらとても楽しく鑑賞した。アートなんて発信側の手を離れた時点で勝手にどんな姿にでもなるのだ、そして受け取り方は人それぞれなのだ。

そう、絵や工芸や彫刻は、まだ楽しく鑑賞することができた。しかし書作品。だめだった。まったくわからない。何がわからないのか。まず、何が書いてあるのかがわからない。作品タイトルを見てある程度は推し測れるが、基本的に作品の文字が読めない。次に、作品の何を見ればいいのかがわからない。仕方がないので額縁を見ていた。掛け軸は「掛け軸だなあ」と思いながら見た。そして最後に、何をもって優劣がつけられているのかがわからない。この日展では、各作品の、タイトルと作者が書かれたやつ(キャプション?ていうやつ?)の横に、たまに金色の紙があって、それには「特選」とか「東京都知事賞」とか「文部科学大臣賞」とか書いてある。そういうのは、ある程度評価されてると考えていいのだと思って、そう思いながら見たが、書作品だけは、やっぱり何がすごいのかがわからない。悲しい。素養がない。とても悲しい。

しかし、何かに詳しくなるということは、その対象をフラットに、混じり気のない純粋な心で見つめることはできなくなるということなのだ。それを思うと、私はおっぱいやちんちんのことを考えながら鑑賞するのが結局いちばんいいのかもしれない。

 

また図書館も行った。

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この他にあと4冊ある。前回に借りた本たちは、全然読みきれないまま期限が来てしまった。しかし懲りずにまた大量に借りてきてしまった。今回は、なんといっても華氏451度、ずっと読みたかったから念願叶って嬉しい。しかし、昨日借りてきた本たちを家のリビングに放置していたら「お前がどんな本を読んどるんかと思って、ちょっと手に取ってみた」という父が「あの黒と赤の文庫本、数字のタイトルのやつ(華氏451度のこと)、1行目読んでもう読む気なくした」とのことだった。まだ読んでない1ページ目をひらくと、1行目は『火を燃やすのは愉しかった。』だった。なぜだ。まさにこの物語を象徴する(あ、未読だけど一応あらすじは知ってるよ!)、めちゃワクワクする書き出しやんけ。なんでだよ父ちゃん。

いのち

家の前にスズメの雛が落ちていた。昨日の夕方、父が発見した。まだ生きていた。家の屋根の瓦の中に巣を作っていて、どうもそこから落ちてしまったらしい。小さく切ったタオルを巣の近くの瓦に噛ませて、その上に雛を戻してやった。今日の午前中までは、小さくではあるが両手(?)をぱたぱた動かしているのが確認できたらしい。

さっき布団に入ってから、どうも外の風の音が気になり、干した洗濯物が飛んでいかないか不安になって起きた。まだ起きていた父に洗濯物を取りに行くと言うと、父はスズメのことを気にかけて、外へついてきた。屋根まで届く脚立を出してきて確認した父は「だめだった」。雛は死んでいた。

私も父も悲しい気持ちになった。特に父はとても悲しそうだった。でも、ヘビとかに食べられてしまうよりは良かったんじゃないか、という結論に至った。明日、土に埋めてやる。

雛のことを、心の中で「小さないのち」と思っていた。でも、いのちに大きいも小さいもない。たぶん。父は「もっとああしてれば生きてたかも」と悔やんでいるが、すべてが運命として定まっていたことなら、ちょっと神様いじわるだなぁと思う。こんな悲しい結末になるなら、せめて私たちを出会わせないでほしかった。それでも、私たちの知らないところでこんなふうに簡単にいのちは消えていく。でもみんな絶対、生きるのに必死だ。人間も鳥も同じ、いのちの塊だ。いのちとして生まれた以上は生きなきゃいけない。生きるのに必死で、それでも、どうしても、抗えないときにいのちは終わるんだと思った。抗えないとき。人の都合とか、自然の力。スズメの雛は、自然の力に抗えなかったんだと思う。たまたま。でも、助けてあげられなくってごめんね。

 

なんか、私しっかり生きていなきゃなと思った。

 

 

 

夜中、眠れなくて、ちょっとショックで、なんとなく、忘れたくないなと思って書いた。ヤマもオチもない文章

風が吹いたら桶屋が儲かるゲーム

「風が吹いたら桶屋が儲かるゲーム」という遊びがある。かなり前のドライブ中に友人から聞いて知った。よっぽど暇だったのかもしれない。とてもシンプルかつ、(悪くいえば)くだらない遊びだ。

遊び方は簡単。使うものは何もない。

1、「何をしたら(スタート地点)」「どうなる(ゴール地点)」を決める。例)「雨が降ると」「叶姉妹のブログが炎上する」

2、「何をしたら」から順番に連想していき、「どうなる」にたどり着く。例)雨が降るとみんなが傘をさす → みんなが傘をさすと道がせまくなる → 道がせまくなると…… → (中略)……になると叶姉妹のブログが炎上する(ゴール!)

ダラダラ長く続けることを目的に楽しんでもいいし、いかに早くゴールにたどり着くかを楽しんでもいい。ナイスな繋ぎをしてくれた人をあえて無視したりするのも楽しい。ちなみに主述の関係とかもめっちゃテキトーでいい。いつのまにか主語が変わってても別にいい。流れでそうなったらそれでいい。細かいことは気にしない。

ちなみに「風が吹けば桶屋が儲かる」の詳しくはこう↓

“風が吹けば砂埃のために目を病む人が多くなり、目を病んだせいで失明すれば音曲で生計を立てようとするから三味線を習う人が増え、三味線の胴に張る猫の皮の需要が増える。 そのため、猫の数が減少し、猫が減れば猫が捕まえる鼠の数が増える。 鼠は桶をかじるから桶がよく売れるようになり、桶屋が儲かることから。” いわゆるバタフライエフェクトである。

 

数年前、大学の部活の仲間数名が集まって、ある先輩の家で飲み会をしていた。そこでUNOだかトランプだかをしていて、早々にあがって暇になった私は、同じく早くあがって暇そうに携帯をいじっていた後輩の白取くんに「風桶ゲーム」をしようと持ちかけた。「ねーねー【風が吹いたら桶屋が儲かるゲーム】しよー」『え、何ですかそれ』私はゲームの説明をした。『それって…楽しいんですか?』「いいからやってみようよ」

そして、スタートとゴールは「海が荒れると」「君に会いに行ける」に設定された(ゴールがロマンチック)。

「私からね。海が荒れると、漁師が仕事をなくす」『漁師が仕事をなくすと、漁師が仕事を探す』「(普通やんけ…)漁師が仕事を探すと、求人誌を見る」『求人誌を見ると、応募の電話をかけたくなる』「応募の電話をかけたくなると、電話ボックスに行く」『電話ボックス? え~……最終的に君に会いに行ければいいんですよね。……うーん…どうしよう…』

そこで、横でニヤニヤしながら聞いていた別の後輩・カイルくんが叫んだ。

 

「白取さん! そこは『電話ボックスに行くと、君の乗る飛行機がまだ空港にいることを知る』ですよ! これで君に会いに行けますよ!!」

 

コイツは天才か、と思った。

大量の水を眺める

25日(火)。眼科でコンタクトをもらってから心療内科に行くという予定が、眼科が休診日だった。せっかくトヤマ駅まで出たのに、悲しい。眼科休診により、心療内科の時間まで馬鹿デカい暇が発生してしまった。せっかくなので、駅裏の某公園に散歩してきた。そこには「世界一景観のいいスタバ」(確かそのはず)があって、そこでナンチャラフラペチーノやらを買うこともできたが、自販機で17アイスを買う。気温が高いのであっという間に溶ける。行き交う人々をボケーッと眺める。みんな、ピクニックや犬の散歩などなど。周囲の目を気にしつつも芝生に寝そべってみると、雲ひとつない青空。そして「私……めちゃ無職だ……」と思った。

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高校生の時、トヤマ駅を毎日使っていた。あの頃トヤマ駅周辺は私の庭だった。お金を使わずに長時間過ごせる場所、自習に最適な場所、電車のダイヤ、乗り換えには何分かかるか、プリクラを撮るならどこか、すべてが頭に入っていた。それから時は経ち、北陸新幹線の開通などがあり駅周辺は大きく姿を変えた。ちょっとさみしい気もするが、便利になったところもたくさんある。たとえば駅南の図書館。

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10年ぶりに訪れたところ、大量の漫画が。10年前にはなかった「こども図書館」が併設されており、そこにはたくさんの児童書! 漫画は館内閲覧のみだけど、人気作はだいたい網羅してある。こども図書館は18時閉館だけど、いくらでも時間潰せるやんけ(普通のほうの図書館は21時まで。すごい)。利用します。

 

26日(水)。文化放送の番組に生出演するために東京へ。夜行バスで朝到着し、池袋のマックで読書して時間潰すつもりが寝てしまう。その後おかありな・岬たん両氏と合流し、文化放送に直結のデニーズで近況報告など。岬たんから沖縄のおみやげ(ちんすこう)を頂く。

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いざ文化放送へ。受付で名乗ると当該フロアまで案内される。番組のスタッフの方に挨拶し、台本を受け取り、おおまかな流れを聞く。「放送禁止用語とかはあんまり気にしなくていいので、自由に楽しく喋っていただければと」とのこと。そして大竹まことさんに挨拶。ドキドキしたけど、岬もありなもいつも通りヘラヘラしていたので私もヘラヘラする。ブースに入って少し雑談、のままヌルッと本番へ。放送は、緊張したものの終始和やかに進み、無事終了。

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文化放送を後にした我々は、「酒が飲みたい」という話になり(15時)、安く飲める日高屋を探すも、オフィス街である浜松町に日高屋など存在しないことが判明する。結局コンビニで酒を買い、近くにあった寺のような場所で飲む。岬たんいわく、外国では路上で酒を飲むのは「ありえない」ことらしく、花見とか路上飲みとかできるウチらって日本に生まれてホント幸せだよね〜……という話をした。

 

27日(木)。恋人とデート。行く場所も決めていなかったので、私が夜行バスに乗る新宿にとりあえず行くことに。新宿御苑に行ってみようという話になるも、16月で閉まる(相談時15:30)ため断念。代わりに、初めて都庁にのぼってきた。

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タダでのぼれるの知らなかった。都庁。

ごはんも食べて、それでもまだバスまで時間があるので、本屋に行ったりゲーセンに行ったりなど。

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大量発生するロコン(アローラのすがた)とピカチュウ

本屋のついでにアニメイトに行ったら、最近のラノベのタイトルは迷走しているということがわかった。

 

29日(日)。家の近くを時間をかけて散歩した。

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家から歩いていける距離にダムがあって、そのそばには小さな休憩スペースがあって、そこでダムを眺めながらボケーッとするのが昔から好きだった。家から歩いていける距離に大きな川もあるけどそのは流れが速い(上流のほうだし)から、ただ大量の水がそこにあるだけという状態のダムを眺めるのが好きだった。ダムというものは放流時はそれはそれは迫力のあるもので、だけどそうでない時はヌボーーッとしている印象がある。私は寝巻きで、メガネで、髪の毛もボサボサで、ダムを眺めながら、音楽を聴いて、そして私もまた、同じようにヌボーーッとしている。

舞台の上は戦場

某年3月。私はダメ元で受験した東京の国立大学に見事合格した。東京に憧れてはいたが、東京でさらに私立大学となると学費の問題で4年間通わせることは難しいと両親に言われていた。しかし国立大学に合格できた。これで学費の問題はクリアできた。いざ憧れの東京。これから東京で大学生。上京、ひとり暮らし、勉強にバイトに恋愛に、そして大好きな音楽。まずは軽音サークルに入ってバンドを組むんだ。ウェーイってやるんだ。バンドを組んで。軽音サークルで!希望に胸をときめかせた私は、そんなチャラくて楽しいキャンパスライフを送ることとなる。

はずだった。

 

翌、4月。私は頭を抱えていた。受験して入学したのは芸術系の専攻だった。そこにはたくさんの「強そうな人」が集っていた。専攻のオリエンテーションで、皆が順番に自己紹介をする。

コンテンポラリーダンスをやっています」(コン…?何ダンス?)

「演劇部でした」(マジかよ、演劇部とか富山県に全然ない文化だぞ)

「ミュージカルが好きです」(ミュージカル!?私そんなん観たこともないぞ)

「声楽をやってました」(私コーユーブンゲン止まりなんだけど!)

「作詞作曲できます」(マジかよ!早くも音楽家あらわる!)

暗黒舞踏してました」(暗黒!?何それ怖い)

私は今まで何をしていただろう。まさか東京に出てくるための口実でイケそうな国立大学テキトーに受験して偶然受かりましたなんて言えるわけがない。何も言えない。自己紹介で何を言ったかは覚えていないが、いい加減なことをへらへら喋ってやり過ごしたような気がする。

そこは「表現コミュニケーション」という、芸術全般について学ぶ専攻だった。しかし芸術全般と言いつつ、実際来てみると、かなり演劇に傾倒しているという印象だった(たぶん学生によって感じ方は違うが私はそう感じた)。全員がそうだったというわけではないが、ミュージカルや演劇やオペラなどなど、やはり舞台芸術愛する人が多いのは確かだった。1学年20人程度の小さな専攻だが、同期と変わらず先輩たちも舞台芸術愛する人が多かったように思う。専攻のオリエンテーションでは先輩たちも自己紹介をしていたが、所属団体を宣伝する方も少なくなかった。そして季節柄、先輩たちはサークルの新入生歓迎イベントの告知をしていた。その中で、うちの専攻内で、所属している先輩が圧倒的に多い演劇サークルがあるようだった。複数の先輩から、そのサークルの新入生歓迎公演に誘われた。公演あるから、私演出やってるから、私役者やってるから、私舞台美術やってるから、観にきてよ、と。稽古の見学にまで誘われたので誘われるままについていき、木材を加工して舞台美術を作ったり、台本を読ませてもらったりなどの体験をした。訛りを指摘されて死ぬほど恥ずかしい思いもしたが楽しみながら読んだその台本は新入生歓迎公演のもので、それはいびつな家族の温かい物語だった。ちなみにその時の私は「先輩にごはん奢ってもらえるし、知ってる人も多いから不安もないしいいや。しつこく勧誘されても断る自信あるし」くらいの気持ちだった。

その新入生歓迎公演の本番の日、私はその受付にいた。「やってみなよ!ぜひおいでよ!」と私を引っぱってきた、役者で出演する先輩のゴリ押しにより制作の手伝いをする流れになってしまったのだ。衣装とメイクを纏い、役の姿になった先輩は、私の前にきて「さゆりちゃん、手伝ってくれてありがとう。難しいことはないから、楽しんでね」と笑って、また楽屋に去っていった。こんなはずじゃなかったんだけど……と思いながら、パンフレットを来場者に渡す。来場するお客さんを迎えるのは悪い気分ではなかった。演劇ってこういう仕事もあるのか〜と実感し始めた頃、制作の指揮をとっている先輩が「本番始まるから、中入って観てきていいよ」と私を会場内に入れてくれた。それなりに人は入っていた。演劇を観るのなんて、小中学校の芸術鑑賞会で町のホールに行った以来だ。私なんかにわかる内容なんだろうか。

会場内のBGMが次第に大きくなる。あ、始まる。照明が少しずつ暗くなる。BGMがフェードアウトする。

暗転。

その物語は、暗転状態の中誕生日を祝う歌声から始まる。「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー♪」

そして明転して舞台上の役者たちが目の前にあらわれた瞬間、今までに体験したことのない感動に襲われた。なんで?どうして?どうしてこんなに心が震えるんだ?さっきまで「楽しんでね」と話していた先輩が、今まったく別の人物になっている。まったく別の人物になって、笑って怒って喋っている。まったく別の人物になって、生きている。そうやって舞台の上で他の人とコミュニケーションを成り立たせている。先輩以外の役者さんたちもまた、自分以外の人物になって、笑って怒って喋っている。先輩や、稽古場で会っていた人たちは、幻だったのだろうか?違う。今ここで、彼らはひとつの世界を作り出している。私はそれを観ている。私たち人間は、自分自身の人生しか、自分ひとりぶんの人生しか生きられないと思っていた。その思い込みが、いとも簡単にあっさりと覆されたのだ。演じるってどういうことなんだろう?世界を作り出すってどういう仕組みなんだろう?私は演劇なんて知らなかった。本当に、これっぽっちも知らなかった。だけど、ここまで心が震えたこの体験は嘘でも見栄でもなかった。

終演後ボロボロ泣く私を、先輩たちは「そこまでとは、嬉しいなあ」と言いながらも宥めてくれた。

 

軽音サークルに入って、チャラくて楽しいキャンパスライフを送るはずだった私の未来予想図は、ここから狂い始めた。

 

つづく

桃色の恋・最強の恋

見るものすべて桃色にフィルターがかかるようなバカな恋を、24歳でようやく卒業できた。遅い。遅すぎる。ずいぶん長い間、バカな女だった。そしてバカな処女だった。どうしてもこのひとが欲しくて欲しくて、自分のものにしたくて、この人じゃなきゃ嫌だった。自分がどれだけ想いを寄せても、どうしても応じてくれないという、そういう人間関係がごく身近に存在するということを痛いほど知った。「ごめん、さゆりの気持ちには、こたえられない」。そう言われて、半年後にもう一度気持ちを伝えた。もちろん返事は同じだった。今思えばとても迷惑だっただろう。恋していたその相手はとてもやさしい人だった。だから心のどこかで、この人はいつか私の気持ちに応えてくれるのではないかと思っていたのだ。甘かった。脳内がお花畑だった。私たちは大人だから、カラダだけの関係とかキープとかそういうルートもありえたかもしれないが、自分に好意を寄せてくる女をもてあそんだりせず真摯に返事をくれたその人のことは今も尊敬している。それか、私ごときなんか、もてあそぶに値しなかったのかもしれない。とにかく、私が想いを寄せる相手が私にも想いを寄せてくれるというそのことが、どんなに有り難い奇跡なのか、24歳でようやく思い知った。ろくに恋愛を経験しておらず何も知らない私は、とんでもなく愚かだったのだ。

 

現在交際3年目の恋人は、もともとは友人だった。

とても良い友人だった。歳をとってお互い中年になっても会って酒を飲みたいと思っていた。桃色のフィルターのかかっていたバカな恋が少しずつ薄れていく頃、ふと、彼に女がいる想像をしてみたら、とてもモヤモヤした。そして悲しくなった。その夜、もみじという友人と会って吉祥寺の安いファミレスでパスタをすすっていた。その話をすると、もみじはニヤニヤしながら「さゆりちゃん、それはね…、恋だよ」と言った。その言葉を聞いて、ああこれは恋なのかなぁ?と思った。そしたら、じゃあ言わなきゃと思った。好きだと。食べかけのパスタをそのままに、「ちょっと今から電話して言ってくるわ」とファミレスを出た。背中にもみじの「がんばれー」がきこえた。まずLINEで「ちょっと電話したいんだけど今大丈夫?」と送信すると、大丈夫だとすぐに返信がきた。電話をかける。ダメ元で「あの、落ち着いて聞いてほしいんだけど、私の彼氏になってくれん?」と伝えてみた。電話なら、もし断られても顔を見なくて済むし、その後もなるべく顔をあわせないように過ごしていればいい。これから友人に会いに行くのに今横断歩道を渡っているよという電話口の彼は、めちゃめちゃ動揺していた。落ち着いて聞いてほしいと言ったけど、彼は1ミリも落ち着いてなどいなかった。そんな彼の反応に私も動揺した。てっきり冗談で流されてしまうと思っていたからだ。その数時間後、友人と別れた彼から電話がかかってきて、私たちはこれから男女交際をするという契約を交わした。

そんなことがあり3年目。交際開始当時、料理がんばるぞと意気込んでいた私の現在の料理はいっこうに上達せず、食卓に並ぶのはワンパターンなものばかり。何を出してもおいしいと言って食べてくれるけど。そういえば、彼に対してドキドキする気持ちも、燃えあがるような気持ちも、今は正直あんまり感じない。今までいちばん胸がドキドキしたのは初めて手を繋いだときだった。「並んで桜を見ながら歩くのは友達でもできることだけど…だから…お互い手あいてるけど……コイツ今何考えてるんだろう……」しびれを切らした私が彼の左手を掴んだ。お互いびっくりして黙り込んでしまった。こんなにドキドキしたことはそれ以来ない。また特殊な種類のドキドキではあるが。それでも、ふとしたときに、彼の後ろ姿を(ドキドキこそしないけど)愛おしいと思う。犬や猫の画像や映像を見たときにわきあがる気持ちが、ふと彼に対してもわきあがる。犬や猫と違って彼の外見は決してかわいいようなものではない。それでも、ふと手をつないでいたいと思う。どこまでも続く漠然とした安心、やすらぎ、憎まれ口、生活感、めんどくささ、脱ぎっぱなしの靴下、食べかけのまま半年放置されてるミンティア、浴槽の赤い水垢、ごつごつしたソファベッド。剃ってないヒゲのジョリジョリ。カラッポになりかけのシャンプー。溜まって積み上げられてきたジャンプ。不安、安定感と温かさ。今は同棲を目標にお金を貯めている。一緒に暮らすともっとたくさんの楽しいとかムカつくとかおいしいとかウケる〜とかが毎日毎日増えるのかな。楽しくてもドン底でも、おそろいの景色が、おそろいの記憶が、今もまだ増え続けている。そのことが本当にうれしいし、幸せに思う。きっとこれは桃色の恋ではない。見るものすべてにピンクのフィルターがかかってしまうような恋、かつて私に降り注いだ。今はもう違う。生活感だらけで、足がくさくて、甘いセリフなんかひとつもなくて、セックスだってしていない。だけど、これは絶対に。最強の恋だ。

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たぶん

世界と繋がるためのラジオ

いちばん古くは、KNBラジオ。母が車で聴いていた。KNBというのは北日本放送のことで、日本テレビ系列の富山県の放送局。KNBラジオはAMだった。小学校5年生〜中学生まではKNBラジオばかり聴いていた。お気に入りの番組もあった。もちろん富山県でしか放送されてないから、たまにきこえる富山弁がなんだかおかしかった。午後の番組、パーソナリティーの相本さんたちに毎日会えるのが楽しかった。番組ホームページのメールフォームからメッセージを送って、番組内で読まれたときは本当に嬉しかった。リクエストした曲を流してもらえたときも。自分は世界と繋がったんだと思った。確か最初のラジオネームは、「小学6年生」。たとえ富山県のローカル放送でも、小学6年生のメッセージはリスナーたちの耳に届いたのだ。そのことが、飛び跳ねるくらい嬉しかった。

高校生になってからは、FMとやま。はじめは、AMラジオより澄んだきれいな音がなんとなく気にいらなかった。それでも、音楽の番組が多くて、聴いていて楽しかった。夕方の番組にはまたメッセージとリクエストを送った。お米をといだりお茶をわかしたりしながら、自分のメッセージが読まれるかいつもワクワクして聴いていた。

NHK-FMには、「ミュージック・スクエア」という番組があった。今はもう、だいぶ前に終了してしまった。リリース前の曲をフルで流していたから、それを、せーのでボタンを押してMDに録音して、いらないトークの部分は切って削除して、何曲もコレクションしていた。そして何度も何度も聴いた。「ミュージックスクエア」というタイトルのMDは、順に番号をふって、結局25枚くらいにまで及んだ。ミュージック・スクエアには、新曲を流すコーナー、ゲストのコーナーの他に、リスナーからのリクエストを流すコーナーがあった。それは時間の都合なのか毎日1曲だけだった。NHKなんて日本中の人が聴いてるんだし、きっと私のメッセージなんて読まれないだろうなと思いながらも、そのコーナーにメッセージとリクエストを送ったら、奇跡的に読まれたことがあった。ちなみにTHE BACK HORNの「夢の花」という曲だった。今も大好きな曲だ。私はラジオの前でじっと体をこわばらせたまま、NHKという日本で最大手のラジオ局にて、私のわがままで私の好きな曲が流れていることに心から感激した。私が発信したものが、ラジオを介して、日本中の人たちに届いていて、少なくともこの曲が流れている間は、発信した私と受信する人たちの回線は確実に繋がっている。そして、どこかの誰かがこの曲を偶然きいて、仮に、好きになってくれたら、それは奇跡みたいなことなんだと思った。私たちリスナーは、お互いの姿が見えなくても、ラジオの電波に乗って出会い繋がることができるのだ。

そしてその頃、私が高校生のとき、あるラジオ番組(全国ネット)と某出版社(めちゃデカい)がコラボした文学賞の企画があった。軽いノリで応募したら最終ノミネートまで残ってしまった。最終ノミネートは私含め6人いたのだけど、全員がその番組に何回か電話で出演した。私にも、ラジオ局から携帯に電話がかかってきて、番組スタッフさんから何点か話す際の注意を受けて、出演した。電話で喋るのと放送とでは時差があるため、ラジオから離れて、ラジオがきこえないように、携帯を片手に洗面所にひとりでこもって、出番をドキドキ待った。そして訛りのことばかり気にしながら、パーソナリティーさんたちと話した。番組ホームページの掲示板には、私の出演やノミネート作品の感想がたくさん書き込まれた。日本のいろんなところの人たちが書き込んでいた。そのときまた、「私は『これ』で世界と繋がっている」と思った。これまでとは違う、確かな強さをもった糸で。

 

水曜日に、東京は浜松町の文化放送に行って、生出演してくる。何年かぶりに私はまた世界と繋がれるのかもしれないと思うと、その瞬間がとても楽しみです。ちなみにラジオのパーソナリティーは、昔からの夢というか憧れです。