無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

世界と繋がるためのラジオ

いちばん古くは、KNBラジオ。母が車で聴いていた。KNBというのは北日本放送のことで、日本テレビ系列の富山県の放送局。KNBラジオはAMだった。小学校5年生〜中学生まではKNBラジオばかり聴いていた。お気に入りの番組もあった。もちろん富山県でしか放送されてないから、たまにきこえる富山弁がなんだかおかしかった。午後の番組、パーソナリティーの相本さんたちに毎日会えるのが楽しかった。番組ホームページのメールフォームからメッセージを送って、番組内で読まれたときは本当に嬉しかった。リクエストした曲を流してもらえたときも。自分は世界と繋がったんだと思った。確か最初のラジオネームは、「小学6年生」。たとえ富山県のローカル放送でも、小学6年生のメッセージはリスナーたちの耳に届いたのだ。そのことが、飛び跳ねるくらい嬉しかった。

高校生になってからは、FMとやま。はじめは、AMラジオより澄んだきれいな音がなんとなく気にいらなかった。それでも、音楽の番組が多くて、聴いていて楽しかった。夕方の番組にはまたメッセージとリクエストを送った。お米をといだりお茶をわかしたりしながら、自分のメッセージが読まれるかいつもワクワクして聴いていた。

NHK-FMには、「ミュージック・スクエア」という番組があった。今はもう、だいぶ前に終了してしまった。リリース前の曲をフルで流していたから、それを、せーのでボタンを押してMDに録音して、いらないトークの部分は切って削除して、何曲もコレクションしていた。そして何度も何度も聴いた。「ミュージックスクエア」というタイトルのMDは、順に番号をふって、結局25枚くらいにまで及んだ。ミュージック・スクエアには、新曲を流すコーナー、ゲストのコーナーの他に、リスナーからのリクエストを流すコーナーがあった。それは時間の都合なのか毎日1曲だけだった。NHKなんて日本中の人が聴いてるんだし、きっと私のメッセージなんて読まれないだろうなと思いながらも、そのコーナーにメッセージとリクエストを送ったら、奇跡的に読まれたことがあった。ちなみにTHE BACK HORNの「夢の花」という曲だった。今も大好きな曲だ。私はラジオの前でじっと体をこわばらせたまま、NHKという日本で最大手のラジオ局にて、私のわがままで私の好きな曲が流れていることに心から感激した。私が発信したものが、ラジオを介して、日本中の人たちに届いていて、少なくともこの曲が流れている間は、発信した私と受信する人たちの回線は確実に繋がっている。そして、どこかの誰かがこの曲を偶然きいて、仮に、好きになってくれたら、それは奇跡みたいなことなんだと思った。私たちリスナーは、お互いの姿が見えなくても、ラジオの電波に乗って出会い繋がることができるのだ。

そしてその頃、私が高校生のとき、あるラジオ番組(全国ネット)と某出版社(めちゃデカい)がコラボした文学賞の企画があった。軽いノリで応募したら最終ノミネートまで残ってしまった。最終ノミネートは私含め6人いたのだけど、全員がその番組に何回か電話で出演した。私にも、ラジオ局から携帯に電話がかかってきて、番組スタッフさんから何点か話す際の注意を受けて、出演した。電話で喋るのと放送とでは時差があるため、ラジオから離れて、ラジオがきこえないように、携帯を片手に洗面所にひとりでこもって、出番をドキドキ待った。そして訛りのことばかり気にしながら、パーソナリティーさんたちと話した。番組ホームページの掲示板には、私の出演やノミネート作品の感想がたくさん書き込まれた。日本のいろんなところの人たちが書き込んでいた。そのときまた、「私は『これ』で世界と繋がっている」と思った。これまでとは違う、確かな強さをもった糸で。

 

水曜日に、東京は浜松町の文化放送に行って、生出演してくる。何年かぶりに私はまた世界と繋がれるのかもしれないと思うと、その瞬間がとても楽しみです。ちなみにラジオのパーソナリティーは、昔からの夢というか憧れです。