無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

舞台の上は戦場

某年3月。私はダメ元で受験した東京の国立大学に見事合格した。東京に憧れてはいたが、東京でさらに私立大学となると学費の問題で4年間通わせることは難しいと両親に言われていた。しかし国立大学に合格できた。これで学費の問題はクリアできた。いざ憧れの東京。これから東京で大学生。上京、ひとり暮らし、勉強にバイトに恋愛に、そして大好きな音楽。まずは軽音サークルに入ってバンドを組むんだ。ウェーイってやるんだ。バンドを組んで。軽音サークルで!希望に胸をときめかせた私は、そんなチャラくて楽しいキャンパスライフを送ることとなる。

はずだった。

 

翌、4月。私は頭を抱えていた。受験して入学したのは芸術系の専攻だった。そこにはたくさんの「強そうな人」が集っていた。専攻のオリエンテーションで、皆が順番に自己紹介をする。

コンテンポラリーダンスをやっています」(コン…?何ダンス?)

「演劇部でした」(マジかよ、演劇部とか富山県に全然ない文化だぞ)

「ミュージカルが好きです」(ミュージカル!?私そんなん観たこともないぞ)

「声楽をやってました」(私コーユーブンゲン止まりなんだけど!)

「作詞作曲できます」(マジかよ!早くも音楽家あらわる!)

暗黒舞踏してました」(暗黒!?何それ怖い)

私は今まで何をしていただろう。まさか東京に出てくるための口実でイケそうな国立大学テキトーに受験して偶然受かりましたなんて言えるわけがない。何も言えない。自己紹介で何を言ったかは覚えていないが、いい加減なことをへらへら喋ってやり過ごしたような気がする。

そこは「表現コミュニケーション」という、芸術全般について学ぶ専攻だった。しかし芸術全般と言いつつ、実際来てみると、かなり演劇に傾倒しているという印象だった(たぶん学生によって感じ方は違うが私はそう感じた)。全員がそうだったというわけではないが、ミュージカルや演劇やオペラなどなど、やはり舞台芸術愛する人が多いのは確かだった。1学年20人程度の小さな専攻だが、同期と変わらず先輩たちも舞台芸術愛する人が多かったように思う。専攻のオリエンテーションでは先輩たちも自己紹介をしていたが、所属団体を宣伝する方も少なくなかった。そして季節柄、先輩たちはサークルの新入生歓迎イベントの告知をしていた。その中で、うちの専攻内で、所属している先輩が圧倒的に多い演劇サークルがあるようだった。複数の先輩から、そのサークルの新入生歓迎公演に誘われた。公演あるから、私演出やってるから、私役者やってるから、私舞台美術やってるから、観にきてよ、と。稽古の見学にまで誘われたので誘われるままについていき、木材を加工して舞台美術を作ったり、台本を読ませてもらったりなどの体験をした。訛りを指摘されて死ぬほど恥ずかしい思いもしたが楽しみながら読んだその台本は新入生歓迎公演のもので、それはいびつな家族の温かい物語だった。ちなみにその時の私は「先輩にごはん奢ってもらえるし、知ってる人も多いから不安もないしいいや。しつこく勧誘されても断る自信あるし」くらいの気持ちだった。

その新入生歓迎公演の本番の日、私はその受付にいた。「やってみなよ!ぜひおいでよ!」と私を引っぱってきた、役者で出演する先輩のゴリ押しにより制作の手伝いをする流れになってしまったのだ。衣装とメイクを纏い、役の姿になった先輩は、私の前にきて「さゆりちゃん、手伝ってくれてありがとう。難しいことはないから、楽しんでね」と笑って、また楽屋に去っていった。こんなはずじゃなかったんだけど……と思いながら、パンフレットを来場者に渡す。来場するお客さんを迎えるのは悪い気分ではなかった。演劇ってこういう仕事もあるのか〜と実感し始めた頃、制作の指揮をとっている先輩が「本番始まるから、中入って観てきていいよ」と私を会場内に入れてくれた。それなりに人は入っていた。演劇を観るのなんて、小中学校の芸術鑑賞会で町のホールに行った以来だ。私なんかにわかる内容なんだろうか。

会場内のBGMが次第に大きくなる。あ、始まる。照明が少しずつ暗くなる。BGMがフェードアウトする。

暗転。

その物語は、暗転状態の中誕生日を祝う歌声から始まる。「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー♪」

そして明転して舞台上の役者たちが目の前にあらわれた瞬間、今までに体験したことのない感動に襲われた。なんで?どうして?どうしてこんなに心が震えるんだ?さっきまで「楽しんでね」と話していた先輩が、今まったく別の人物になっている。まったく別の人物になって、笑って怒って喋っている。まったく別の人物になって、生きている。そうやって舞台の上で他の人とコミュニケーションを成り立たせている。先輩以外の役者さんたちもまた、自分以外の人物になって、笑って怒って喋っている。先輩や、稽古場で会っていた人たちは、幻だったのだろうか?違う。今ここで、彼らはひとつの世界を作り出している。私はそれを観ている。私たち人間は、自分自身の人生しか、自分ひとりぶんの人生しか生きられないと思っていた。その思い込みが、いとも簡単にあっさりと覆されたのだ。演じるってどういうことなんだろう?世界を作り出すってどういう仕組みなんだろう?私は演劇なんて知らなかった。本当に、これっぽっちも知らなかった。だけど、ここまで心が震えたこの体験は嘘でも見栄でもなかった。

終演後ボロボロ泣く私を、先輩たちは「そこまでとは、嬉しいなあ」と言いながらも宥めてくれた。

 

軽音サークルに入って、チャラくて楽しいキャンパスライフを送るはずだった私の未来予想図は、ここから狂い始めた。

 

つづく