無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

「展覧会に飾る絵はこれが私の人生だっていうつもり」

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ちょっとした機会があり、富山県民会館日展をみにいってきた。日展というのは、わからんけど日本各地から美術作品がたくさん展示されてる系の展覧会だ。略して日展だ。知らんけど。ちなみに来場者のほとんどは私より年齢が上のように見えた。あまり若者がくるところではないのかもしれない。

たぶん高校生の頃、偶然にも前売券が手に入って同じ場所に日展をみにきたことがあった。これから大学で芸事を志すつもりだし一応なんとなく行っとこうかな、くらいの気持ちだった。そこで死ぬほど心を奪われた絵があり、物販でポストカードを購入して帰った。その絵は、公園のシーソーの両端の地面がくぼんで、そこにできた水たまりに青空が映っているというものだった。ちなみにそのポストカードは、大切にとっておいたのにどこかへ紛失してしまった。当時の私には美術の素養など1ミリもなく、日本画と洋画の違いもわかっていなかった(今も多分あんまりわかってない)。

今回の日展では、日本画・洋画・彫刻・工芸・書 の5つの分野の作品たちが展示されていた。順路通りに進むとたまたま最初が日本画と洋画だった。最初は作品の大きさにひたすら圧倒された。私の身長、約150cm×150cm、をゆうに超えるデカさの絵。そのうちに、大森靖子の「展覧会の絵」という曲の歌詞【展覧会に飾る絵はこれが私の人生だっていうつもり】を思い出した。みんなそんなつもりで描いてるんだ。絵を眺めて、そんなふうに感じた。どんなきっかけがあってこの絵を描いたんだろう? どのくらい時間がかかったんだろう? 完成したときどんな気持ちだったんだろう? ここにはたくさんの人生が、壁に並んで飾られている。すべてが堂々としている。すごい。すごい。ホントすごいなあ。

とあるクジャクの絵を見ていた。描かれた3羽のクジャクは尾羽を閉じていながらもとても美しい色味と佇まいで、そういえばクジャクってきれいな鳥だよなあと思い出した。すると偶然そこでスタッフの方の作品解説が始まった(マイク結構うるさかった)。その絵を描いた神保さんという方は、クジャクを40年ずっと描き続けているらしい(ちなみに私の中学校の時の理科の先生のお父さんらしいことが判明。つまり相当おじいちゃん)。クジャク一筋40年。すごい。何かきっかけがあって、クジャクに魅入られたのだろうか。でもこの絵をみていると、クジャクにゾッコンになる気持ち、わからなくもない。クジャクが神保さんの人生そのものなのかもしれない。すごい。そしてクジャクきれい。クジャクかわいい。すごい。

 

しかし、私はどうにも美術に明るくない。作品を鑑賞しながらも、くだらないことばかり考えてしまう。脳みそが豆腐でできているので仕方がない。とても悲しい。たとえば

 

(裸婦が描かれてる絵って、やっぱ裸の女の人見ながら描いたんよな? 作者は……男だ、そしたらやっぱこのあと滅茶苦茶えっちなことしたんかな!? だったらヤベー! 裸婦の絵すべてエロく見えるわー! それともすでに妻とかかな? ていうかなんでこういうマジメな絵って裸の人間ばっか描きがちなん? エロ? エロなん? やっぱエロいとみんな見てくれるからなん?)

(うわーーーーようわからんけどこの木のオブジェめちゃツヤっツヤのスベっスベやんけーー触りたい触りたい触りたい触りたい触りたい)

(こんなグチャグチャの絵、私でも描けそうなんやけど! ギャハハ!!)

(この彫刻のネーチャンおっぱいの形キレイやなー!あの青年ちんちん小せえー!モデルの人大丈夫?? 主に人権とか大丈夫???)

(この木彫りの女の人、服着とるのに明らかに乳首立っとるよなあ……とんがっとるし…明らかにそういう彫り方だよなあ……なんで乳首強調したんやろ……作者のフェチかな…ブラくらいさせてやって……)

 

馬鹿を自ら露呈している感は否めないが、以上のような感想を持ちながらとても楽しく鑑賞した。アートなんて発信側の手を離れた時点で勝手にどんな姿にでもなるのだ、そして受け取り方は人それぞれなのだ。

そう、絵や工芸や彫刻は、まだ楽しく鑑賞することができた。しかし書作品。だめだった。まったくわからない。何がわからないのか。まず、何が書いてあるのかがわからない。作品タイトルを見てある程度は推し測れるが、基本的に作品の文字が読めない。次に、作品の何を見ればいいのかがわからない。仕方がないので額縁を見ていた。掛け軸は「掛け軸だなあ」と思いながら見た。そして最後に、何をもって優劣がつけられているのかがわからない。この日展では、各作品の、タイトルと作者が書かれたやつ(キャプション?ていうやつ?)の横に、たまに金色の紙があって、それには「特選」とか「東京都知事賞」とか「文部科学大臣賞」とか書いてある。そういうのは、ある程度評価されてると考えていいのだと思って、そう思いながら見たが、書作品だけは、やっぱり何がすごいのかがわからない。悲しい。素養がない。とても悲しい。

しかし、何かに詳しくなるということは、その対象をフラットに、混じり気のない純粋な心で見つめることはできなくなるということなのだ。それを思うと、私はおっぱいやちんちんのことを考えながら鑑賞するのが結局いちばんいいのかもしれない。

 

また図書館も行った。

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この他にあと4冊ある。前回に借りた本たちは、全然読みきれないまま期限が来てしまった。しかし懲りずにまた大量に借りてきてしまった。今回は、なんといっても華氏451度、ずっと読みたかったから念願叶って嬉しい。しかし、昨日借りてきた本たちを家のリビングに放置していたら「お前がどんな本を読んどるんかと思って、ちょっと手に取ってみた」という父が「あの黒と赤の文庫本、数字のタイトルのやつ(華氏451度のこと)、1行目読んでもう読む気なくした」とのことだった。まだ読んでない1ページ目をひらくと、1行目は『火を燃やすのは愉しかった。』だった。なぜだ。まさにこの物語を象徴する(あ、未読だけど一応あらすじは知ってるよ!)、めちゃワクワクする書き出しやんけ。なんでだよ父ちゃん。