無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

返礼

当たり前に毎月、無善寺に出ている。「えーと来月の第3木曜はこの日」って手帳に無善寺っていう文字を書き込む毎月のルーティンワーク。腹減ったらごはん食べるのと同じくらい、当たり前になってる。そのごはんの尊さがしみわたるような日だった。なんか知らんけど、たまにある。胸いっぱいの帰り道が。今日みたいな日が永遠に毎月続いたらいいのにと思った。それは無理な話なんだけど。いつまでも今のままじゃいられないから。だって、いつ、何が起こるかわからないし。土地にも、人にも。店主の寿命があと50年くらいあったらいいのにな。いや…あの人ならありえるか

 

帰宅して風呂から出たら、連絡がきてた。それは、腐らずにライブ活動を続けていたことのごほうびみたいに思えるものだった。ただ、わたしがリスクを負っていないということは、誰か代わりにリスクを負っている人がいるということ。それを忘れてはいけないのだ、ずっと。ずっとずっと。絶対。おまえ、無善寺の自分のレギュラーデーのタイトル忘れとんなよな。ちゃんと礼を返さなきゃだめだよ

 

今日はこれを聴いている。

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いーい曲だなあ。続けるのって難しい。けど、やめるって決断してやめることも、同じくらい難しい。走り出してしまったら、あとは、常に、どちらに舵をきるかなので。これ、その、続ける側に舵をとり続けている人たちの歌なんだなと思った。複数人でひとつの看板を掲げているひとたちは本当にすごい。バンドとか劇団とか。続けるだけでもすごい。わたしは、ひとりだから。ソロだから。【片山さゆ里】の看板を背負ってるのはわたしひとりだから、まだラクなほうなんだろうな。『流れる様な時代に僕等は続けてるよ 抗おうと委ねようと其処に偽りはない筈』ほんとです、やってることだけが事実で、モロハも言ってるけど、やりたい・やってた、よりも、やってる が一番かっこいい。それはもう揺るがずに絶対に絶対に同意。そして次回に続く。ユーモアをもっと!