無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

続・スーパーマーケットファンタジー

その男がわたしのレジに並んだとき、すべての客のカゴをひっくり返し中身散らかして奇声あげて逃げ出したかった。やられた側は死ぬまで覚えているけど、やった側は忘れてしまう、いじめの類は大体そういう構造があるらしい。わたしも例に漏れず、覚えている。あいつは実家が同じ集落で、その中では殺したい人間ナンバーワンだ。小学生のいじめなんてチョッカイの延長でしょwwwって笑って済ませられるタイプの奴は今Facebookやインスタグラムを絵文字たっぷりで楽しめている側の人間だ。あいつもまさにそうだ。死ねばいい。レジの客をゆっくりゆっくりと捌いて、そいつがだんだん近づいてくる。わたしのレジは遅いぞ、遅いんだから、今からでも別のレジに並び直せ。こっちにくるな。きても知らん人のフリしろ。知らん人のフリしろ知らん人のフリしろと脳内で警告音が鳴りまくり、知らん人のフリをしようとした。しかしそいつは目を大きくしてヨッと手をあげた。【「だれおまえ?」って言え】と脳から司令が出たけど、それより先に顔の筋肉が会釈をつくった。わたしたちは店員とお客様だからこれでいいのだ。死ね。そいつは子どもを連れていた。家庭をもって、家を建てて。なんで? どうしてそんなのうのうと生きていられるんだろう、人の心に一生残る傷を残しておきながら。実家の集落は住人たちの家族構成や仕事や嫁ぎ先や進学先まで全部筒抜けなので、あいつが結婚したことも父親になったことも、実家からほど近い場所で家を建ててことも全部知っていた。でも、わたしが東京で8年かよった大学を中退してこっちに戻ってきてこのスーパーでひっそりバイトを始めたことはまだ誰も知らないだろう。昼間、フラつきながら1.3キロ先のコンビニまで酒を買いに行くのをきっと近所のみんなが見ていて、でもその実情には誰もふれてこないだろう。カタヤマさんところのお姉ちゃんは、どう見たって昼間ようすがおかしい。家族にとって恥だ。わたしは家の汚点だ。ろくに就職もせずに、納めるものも納めずに、息してるだけの荷物だ。「ごくつぶし」ってちょうどこれのことなんだろう。ばあちゃん、サユリが東京から帰ってきたよ ってわざわざ言いふらす必要もないよ。こんなやつが帰ってきたところで誰も喜ばないから。でもかまわない。だって、わたしはお前らとは違う。東京には友達がたくさんいて、評価してくれる人がいて、2つめの家だってある。東京ではわたしのもうひとつの人格が、たくさんの人に愛してもらえている。だからかまわない、この土地で社会的に終わっていても、免許も車も持ってなくても、会える友達全然いなくても。わたしには東京がある。また東京に戻れれば、生命力みなぎってくるに違いないんだ。なんでだろうわたしはわたしという一人の人間なのに、この土地は、家とか家族とか世間体とか、こんなに気にしなくちゃいけないんだろう。本来ならこんなにも気にする必要ないのに。苦しい。好きなはずなんだけど、地元。

話しかける間も与えないスピードで商品をスキャンして、お釣りとレシートを渡してやっと深く呼吸ができた。終わったことを蒸し返すのは賢くない。それでもいい、わたしは面倒くさい人間でいい。何なんだよ終わったことをいつまでもネチネチとさ、おまえのような奴が犯罪者になるんだよ。と思われてもいい。わたしが言わなきゃ誰も言わないから何もなかったことになってしまう、だから10年20年過ぎてても蒸し返す。言う。なあお前わかってんのか。やり返す力のない子どもだったわたしに何度も何度も暴力をふるった、おまえの、新築の家に今ならわたしは、火を放つことができるんだぞ。

片山さゆ里は自ら地元でライブをやることはない。家族にもちゃんと詳しいことを言ったことがない。“わたし”は富山にいるけど、さゆ里が富山にいることは一度もない。何にもとらわれずに自分の世界を謳歌しているすがたを、この土地の誰にも見られたくない。こわい。知られたくない。大切すぎて。汚されてしまうくらいなら最初から見せない。もっと自由になりたい。おい、なぁ、そっちがそんななら、わたしだって、誰でもウェルカムなわけが、素直になれるわけがねえよ。片山さゆ里は聖域だから。あの閉鎖的な箱庭に聖なる身体を持ち込みたくない

 

(2017年7月頃のメモ)