無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

耳に穴をあけるということ

カシャッ

 

と終わる。まるでカメラのシャッターを切られたようだ。針が貫通しているというよりは、耳を引っ張られている感じがする。親からもらった大切な体に穴をあけるなんて!と誰かが言っていたけど、そんな優等生みたいな考えは捨てた、アクセサリーショップにて。イヤリングじゃなくてピアスの方が絶対にイケてるデザインが多い。それでどうしてもピアス穴を開けてみたくなったのだった。

以前、自分でピアッサーを使って穴を開けようとしたことがあった。でも、パッケージを開封していざ針の先を目の前にすると震えあがってしまい、できない。わたしは抜毛癖があるから、自傷行為の観点で言えばピアッサーも同じことだし自分でできると思っていたけど、どうにもたやすいことではないらしい。

そこで、人に頼む。大学の先輩で何かにつけてお世話になっている人がおり、連絡をすると二つ返事で快諾してくれた。まずは片耳に1つだけ開けてほしいと話すと「両方開けちゃえばいいじゃん。どうせ安定するまでは同じ期間がかかるんだし。今日やっちゃえば」とのこと。なるほど、と思いながらドンキでピアッサーをふたつ買う。耳たぶ用と書いてあるものだ。ファーストピアスには誕生石がキラリとあしらわれている。迷わず5月・エメラルドを手に取る。

先輩の家に到着し、ごはんを食べさせてもらったあと、いよいよ穴を開ける。先輩は「冷やしたほうがいいらしい」と保冷剤をとってくる。しばし冷却される耳。

はい、あけるよ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジュディマリの「そばかす」の歌詞で、

おもいきりあけた左耳のピアスには ねぇ

笑えないエピソード

というくだりがある。これに代表されるように、ピアッシングはネイルや染髪とは異なる、ある種の記念碑的なものだという観念がある。失恋して金髪にしたという話はあんまり聞かないけど、失恋してピアスをあけるというのはなんだか納得させられてしまうのだ。わたしも何かの笑えないエピソードとともに開けたピアスホールだったらかっこよかったし話のネタになるけど、そういうのは勢いのある若い頃じゃないとできないだろう。

記念碑的なものという点では、タトゥーと似ている。不思議なもので、タトゥーを入れている人の多くがそこに何らかのエピソードを携えている。ただ、ピアスホールは、ネイルやタトゥーと違って「育てる」という独特の所有感がある。処置をしたその日に終わりなんじゃなく、月日を重ねるごとに中の皮膚ができて穴がだんだん出来上がっていくのだ。毎日大切に世話(洗浄・消毒)をして、具合を見る。なんだか自分の身体で野菜でも育ててるみたいだ。

他人からギリギリ見えづらいところに勲章があるのは、かっこいい。そうでなくても、傷があるということそのものがカッコイイ。その人は痛い思いをしたのだから。そういう意味でピアスは、わたしにとって大人の象徴なのだった。もしも、もっと若いときに開けてたら、今のわたしはいないかもしれないけど。

早く穴が出来上がってほしい。

 

★追記

ピアスに関して、ブログで過去に言及していた。なんも考えが変わってなくてウケる

katayamasayuri.hatenablog.com