無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

音ゲーが致命的にヘタクソ

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友達というか後輩、の、妊娠報告をきいて、後頭部に落雷くらった気分。気が動転したので帰宅してとりあえず手帳ひらいてみたの図。大丈夫だ、わたしは少なくとも9月まではライブの予定があるから生きている理由がある。落ち着こう。素数を数えて落ち着こう。1、2、3、5、7、11、13、17、………19? 23? 29?

明日と明後日はライブ。相乗効果でチェキたくさん出ろ、CD売れろ。黒字じゃ黒字、コラァ。頼む。ワンマンライブも、CD全国流通も、一見すると華々しいことだけど、ぶっちゃけ、どちらも金さえありゃぁできることで、大切なのは、いざワンマンやったらどんな人たちがくるのか、全国流通したところでCDはどのくらい売れるのか、という点なのだった。わたしね、5月のガールズトークフェスティバルでわたしの演奏時間きっと誰もいないんだろうフロア予想してたら普通にそこそこ人がいてくれたの、じっと聴いてくれてたの、わたしが演奏終えた途端に物販に列できてたの、すっごく嬉しかった、それが忘れられん。やらなきゃなって思った。片山さゆ里には音楽の才能もセンスもない。あるのは執念とトンチだよ。

あーそういえばわたしはいわゆる音ゲーと呼ばれるものが致命的にヘタクソ。あんなもんさぁリズムに乗ってハイハイと叩けばいいものを、視覚情報にまどわされてしまって、たとえば太鼓の達人だったら横から流れてくるドンとカッを目で追いすぎて完全にミートする瞬間に叩こうとする、そういう場合大抵タイミング的には遅い。でも目で追ってしまう。そのあたりの、視覚情報と音楽のリズムを合わせるのが、死ぬほどヘタクソなので、太鼓の達人の「かんたん」レベルすら満足にできない。あんなに簡単そうに見えるのになんでうまくできないんだろう。もうそういう病気なんだと思う。フルコンボだド〜ン。

13日の夜から富山に帰る。東京にいるわたしにも、富山にいる家族にも、時間は平等に流れている。弱いまま開かれた世界へ、ほんのわずかな可能性で、もう富山には戻らないかもしれないし、東京には戻らないかもしれないことだってある。さようなら。わたしが乗るときに限って、夜行のバスが事故りませんように。いつものwillerだけど。

2013年頃に勉強教えるバイトしてた立川の子ども強制収容所、ホームページ見たら、2013年当時は1年目だった同い年の社員さん、今見たら、所長に出世してた。所長あいさつのところに顔写真が。ということは当時の所長はもっと出世して本部とかに行ったってことだと思う。幸せって何なのかわからないけど、わたしはこういう、つらいけどやりがいがあるひとつのことに打ち込むっていう幸せの感覚は大学受験で使い切ったから、もうわからない。生まれ変わったら真面目に大学を出て、学校の先生になって、仕事が生きがいって感じの人になりたい。生まれ変わったらそうしたい。今の記憶を残したまま、挫折も失敗も全部リセットされないまま、死んでまた生まれたら、次はもっとうまくやれるのにって思う。なんか、今の自分もなかなかエキサイティングな道筋を歩いてる最中だけど、違ったタイプの幸せも体験してみたかったなって話。無理だけどね。だからそういうのは、本を読んだり音楽をきいたり映画をみたりして、いろんな人の追体験をするわけだけど。

死ぬことばっかり考えてしまうから、毎日ずっと、明日からは全部が余生。先行き困ったら首でも吊ればオッケー。中央線ダイビングも可。余生、つまりボーナスステージ。やること全部が儲けもん。死のう!