無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

ODをしている友達とODをしている私

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ODをしたときだけメッセージを送ってくれる友達がいる。いわゆるラリっている時だ。私も正気を失っている時にメッセージを送ることがある。不思議なつながりだ。メッセージが来ると、ちょっと嬉しい気持ちになる。

彼女とは音楽活動の中で知り合った。とても魅力的なパフォーマンスをする子だ。初めて会ったときも「今ODをしている状態だ」とこっそり教えてくれたから、私との初対面を覚えているかはわからない。笑

 

ODの話をしようと思う。

そもそもODって何なのかというと、

オーバードーズ」とは、多幸感を得て精神的な苦痛から逃れようと、医師が処方した薬やドラッグストアで買えるせき止め薬などを大量に摂取することを言います。 一方で内臓にも大きな負荷がかかり、機能低下を含めた悪影響が起こる可能性もあるほか、一度依存するとなかなか自身で離脱することは難しくなります。

いわゆる過剰服薬のことである。少なくない人がODをしている。特に若い人。SNSを見ていると、薬の乱用で真っ青になった舌や大量の咳止めの空き瓶などの写真、OD友達募集、ラリ通話募集などのハッシュタグが散見される。同じようにリストカットをする人もいる。

私もODをしていた。入院にも至った。なぜODをするかというと、理由はいろいろあるが、気持ちがラクになるからというのが大きい。その効果が、他の方法の比にならないくらい依存性が高いのだ。ただの遊びで済めば良かったが、たまたま私とは相性が良すぎた。

良く言われるのが、ODをすると「フワフワして楽しい。嫌なことを忘れられる」。また、薬の「脱抑制」と言う作用によって、攻撃的になったり、気持ちが大きくなったり、いわゆる「ラリったり」する(※これは自分で勉強したことなのでちょっと違うかもしれない)。私も苦しいことや生きづらさがあって、壁を乗り越えるためにODという手段を使っていた。

ODについて話すとき、私は肯定派にも否定派にもなれない。どちらにも寄れないド真ん中の、渦中の存在だからだ。こんなことを言うと叱られてしまうだろうか。いろんなところからの「やめとけ」って声は聞こえている、体に良くないのもわかっている、命を落とす可能性だってある。うん、本当にそうだ。ODなんてやるもんじゃない

でも、その一方で、「そうしなければ生きていけない」私たちを抱きしめたい自分がいるのもまた事実なのである。みんなが禁じるなら、罰するなら。せめて私だけはいいよって言いたい。

死のうとしてODをする人もいる。だけど、少なくとも私は、生きたくてODをしていた。押し寄せる荒波にのまれないために、薬を使って必死で生きていこうとしていた。それなのに結果的には死に近づいて入院してたなんて、変な話だ。

ODをする人が本当に必要としているのは、薬ではない。薬に手を伸ばしてしまう理由を見つけて、それを解決することだ。ODの原因であるしんどさや生きづらさや苦しさを癒すことなのだ。そうすれば、ODは、誰かが無理にやめさせなくても「自然に止む」という。でも、ODの原因である苦しみに向き合うのは簡単なことではない。時間をかけて別の心の不調を治療したり、福祉の支援につながったり、場合によっては仕事や住む場所を変えなければいけなかったり。これは私の考えだけど、ODをする人たちは「待つ」ことが苦手だ。腕を切って目に見える血を出したり、飲めばすぐに効果が出てラクになれる薬のようなものに慣れきっている。長いスパンでものごとの変化を待つのが苦手な気がする。だから時間をかけて自分の苦しみを紐解くのはしんどい。直接のODの原因がわからないかもしれないし、様々な背景が複合的に影響しているかもしれない。なんにせよODは一朝一夕でやめられるものではない。

だから、「ガス抜き」程度のODは許されてほしい。

わかっている、繰り返すうちに量も回数も増えていくってこと。その末路も。わかっている。それでも、今この瞬間に、ODか死ぬかの岐路に立たされている人からODを奪わないでほしい。それは死ぬためのODではなく、生き延びるためのODだ。私は、ODをしていたからなんとか生きていられた。生存者バイアスだろうか。ODで命を落としていた可能性だってあった。だけど自ら命を絶つよりはODに賭けたかった。動かない体を動かしたかった。バイトに行かなければいけなかった。不安を消したかった。夜眠って朝起きなければいけなかった。ちゃんとしたかった。ちゃんと生きていたかった。そのためにODが必要だった。ODを松葉杖にして歩いていた。

その松葉杖を、OD以外に置き換えていかなければならない。自傷行為や、薬は、裏切らない。やった分だけ返ってくる。だから信じられる。でも。

 

今私のODは、全盛期よりいくぶんおさまっている。入院を経て薬を減らして、住む場所を変えたのが大きいのかもしれない。それでも、ODの欲求がなくなったわけではないし、何より依存症(OD癖=薬物依存症と言える)に完治はない。だから、通院は続く。私も、自分の中の生きづらさや苦しみ、ODの原因となってしまったことを紐解いているところなのだから。

 

もしもODをしている人に声をかける時、頭ごなしに叱らないであげてほしい。きっと、ODに至るまでに苦しみがあったから。その上で、「あなたがいなくなったら寂しい」「やりすぎちゃだめだよ」と優しく声をかけてほしい。話を聞いてあげてほしい。

そうしていつか、松葉杖なしで歩けるといい。