無限ワンアップ・改

さゆゆだよお

ラッパーの横顔

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私がラップ、しかも日本語のラップというものを好きなのは、やっぱり、言葉を尽くしてるからだろう。と思った、今日。

私は弾き語りでライブ活動をしてて、初めて演奏を観てくれた方に「あなたは"言葉の人"だね」と言われることが、わりとある。実際めちゃくちゃ考えてるし、ジャッジが厳しい。ちょっとでも違和感がある言葉は歌に採用しないようにしている、歌ってる自分が気持ち悪いから。私はどうしても言葉が好きだし、小説が好きだしエッセイが好きだし、Twitterもブログも好きだし、詩歌も大好き。

ラッパーの人が次々に出てくるようなライブは、私にとって「そうきたか」の連続だ。「そうきたか」っていうのは、「そんな語彙があったか」とか「そんな言い換えがあったか」とか「そんな英単語を使うのか」「そこで押韻があるのか」っていう、だいたいが歌詞に関するもの。ラップって「フロウ」っていう、言いまわし(歌いまわし?)のテクニックも問われる世界らしいんだけど、それよりもまず私は使われている言葉が気になる。まぁ、発語が不明瞭だとまずその言葉すら届かないからフロウが大切というのもわかるけど。

ハッとする"言葉"に出会う頻度が高いのはやっぱり、ラッパーのライブ。詩人もグッとくること多いんだけど、詩人は純度が高い弾丸を確実に撃ち込んでくる感じがする。弾数はそこまで多くない。歌の人の言葉はグッとくることそんなにない。歌は言葉のほかにメロディーという要素があるから、そこでグッとくるけど、純粋に言葉だけにグッとくることって滅多にない。ラッパーはとにかく言葉の数が多い。喋りまくる。だから、撃ち込む弾数の絶対数が多いというか母数が多いというか。だから私のような聴き手にキマる頻度も高いんだろう。俗にいうパンチラインというやつ。私は感受性がバカみたいに豊かだから、おもしろいくらいに撃ち抜かれる。

ライブハウスやクラブで目にするラッパーの人たちは、いつも、みんな酒を片手に談笑したり、ステージに向かって大きな声をあげたりしてる。みんな明るくて、酔っぱらってて、パリピって感じがする。でも、家で、歌詞(リリックと呼ぶのかな)を考えるときは全然違った横顔を見せるんだろうなと想像する。使うのはノートか、Wordか、はたまたスマホのメモアプリか。たったひとつの言葉に辿りつくために、辞書を引いたり、ウィキペディアをひらいたり、お気に入りの小説を読み返したり、するんだろうか。自分と向き合わなきゃ、たしかな言葉って出てこない。自分と向き合うときって、パリピなんて語とはかけ離れてる。孤独。その中に宝物みたいな言葉がある。演者として自分を更新し続ける中で、それでもあなたがいつもライブで必ずやるその1曲は、それまでのあなたの人生すべてなんだろう。歌詞は推敲に推敲を重ねたのか、スルッとできてしまったのか、どうやって生まれたのかはわからないけど、でも大切な曲なんでしょう。宝物みたいな1曲なんでしょう。わかるよ。

かっこいいなあ。ラッパー。バンドマンとは違う、なんていうか、文系のかっこよさ。もちろん服装とか思想とかのかっこよさもあると思うけど、私にとってはそういう佇まいとかではなく、とにかく、言葉や発語での説得力。かっこいいね。いいなあ。こないだ久しぶりに会ったラッパーの友達に「片山さゆ里は歌詞の作り方が完全にラッパーやねん」って言われたのが、思いのほか、嬉しかったよ。