無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

20231002

近況

 

9月。これから爆売れしてくんだろうと思っていた大好きな音楽家のヤツが、もう音楽やめる、と連絡をくれた。

私はその日から絶対に3年以内に結果を出すと決めた。

 

 

久しぶりに無善寺でライブをした。無全菩薩のDJ?ノイズ?演奏が耳にかなりキツかった。しんどかった。座った位置がスピーカーのすぐ真前なのが良くなかったんだ。ハコを出ていくほどでもなかったから終わるまで耐えたけど、身体に不調をきたすとステージの表現に集中できない。本末転倒だ。これは耳栓などで自衛するしかないのだろうか。耳の不調をそれとなく感じている最近。耳を守りたい。

その日対バンのハシコちゃんが、とても良い話をしていた。「最近ずっと幸せで、ずっと閉じてた扉がひらけた、だからもう大丈夫だ」って。良くない草吸ってんのかなと思っちゃってごめん、もちろん違った。彼女の扉がひらいたきっかけは、私からすると失礼ながら「えっ、そんな些細なことで?」と思ったんだけど、きっと彼女には一生忘れられないターニングポイントになったんだろう。涙を流しながら切々と語る彼女を見て「本当に良かったなあ」と思った。

 

私の扉はいつひらくだろうか。「もう大丈夫」って思って、何回も失敗して後悔してきた。

そうやって、「もう大丈夫」を少しずつ積み重ねていくしかないんだと思う。いきなり劇的なイベントが降ってくることは、ない気がする。あるだろうか? いつかブレイクスルーが来るんだろうか。それは明日かもしれないし、来月かもしれないし、5年後かもしれない。わからないけど。「もう大丈夫」って本当の意味で言える日がいつかきますように

 

2023年の1月から短歌を作り始めました

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楽しくて仕方ないです

 

短歌用アカウント作っちゃった

https://x.com/ffffuming/  (@ffffuming)です

 

今月は

新しいギターをもっともっともっと弾きたい

「この人はなんかちがうな」って思われたい

10月は初心に帰ってゼロからやる

いい歌をいっぱいつくる

2022年よかった本5冊ね

心に残ったものを5冊。今年の「お気持ち表明」

オビ着きの画像を探してみました

 

 

①「愛されなくても別に」武田綾乃講談社.2020)

 

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エモ。読みたかったのはまさにこういうやつ。これだよこれ。この人の小説いくつか読んで、全部よかったけど、その中でこれが一番よかった。

私は「女と女が出会って何かワチャワチャする話」が大好き(でも【百合】というタグ付けにはちょっと嫌悪感がある。この話は大変めんどくさい。自分が女であることと関係していると思うけどその辺りの線引きは難しいね。百合はピンとこないけど「女・ミーツ・女」は好き、この言葉がしっくりくる)(それを百合と呼ぶ人もいるかもしれないけどよくわからん)。ガールとガールが出会う。途中に出てくる、とあるガールも強烈。高校生の頃に読んだ、あさのあつこ「ガールズ・ブルー」のテンション…。良い。すごく幸せ。最高。ありがとうマジで。でもこれかなり鬱なテーマよな。でもすごく好き。でも……という感じ

 

 

 

②「みんな水の中 「発達障害自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか」横道誠(医学書院.2021)

 

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全人類、読んでほし〜ね

『文学や芸術に触れることで作品の中に自分を発見してきた』というくだりに泣いちゃった。私もそうして救われて生きてきたので。みんなそうだ。みんな水の中で。

 

 

 

③「人は2000連休を与えられるとどうなるのか?」上田啓太(河出書房新社.2022)

 

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上田啓太さん、インターネットの中の凄い人。めちゃくちゃ面白いブログを書く人(aikoの記事が名作。今は有料noteに移行したかも)。これ、装丁やふれこみがポップでキャッチーなふうに作られているけど、絶対絶対絶対違うだろ。もっとドープだよ。というか、普通の人は2000連休を与えられてもこうはならんやろ。という本だった。頭の良いニートって狂うんだな。なんかすごかった。2000連休の結晶だった。終盤はかなり精神世界に踏み込んでいて「ヤバイ」感じがする。あとネコの話が全部かわいくてよかった〜

 

 

 

④「なめらかな世界と、その敵」伴名練(早川書房.2019)

 

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短編集。良かった。今年読んだ小説の中でいちばん良かった。良かった。本当に良かった。くらった。漫画では表現できない、映画でも表現できない、でも小説ならできる世界がある。という事実を、この本を読み始めて2ページ目で「あぁ……あぁぁ〜〜〜〜」と思いださせられた。2ページで。2ページ目で「あれ?」と思って、その後、頭がパカーンとひらく感じ。私にとって、正直に申し上げますと、SF小説といわれているものって化学や技術やシステムや国家を描くものなのだという偏見があった(本当に良くないですね。マジでド偏見だよ。まあ拭えない偏見だよね)けど、SF小説って、『人間を描く』ジャンルなのですね と認識を改めた。そうじゃん。そうだろ。私たちは想像力でどこにでも行けるし何でもできる

てかこれはオビとか店頭ポップのせいで「SF小説」という先入観を持って読んでしまったけど

6つの話が収録されていて、最初から通して読んで、読み終えて、かっこいいバンドのミニアルバムを聴いたような感覚がした。順番が秀逸。順番は大切。6つのうち、1つ目の表題作でかなり食らって、「この人はよくわからんけどとにかくオタクなんだな…」と思わされて、伊藤計画のトリビュート?オマージュ?のやつもオチが良くて、それでそれでなんといっても最後に収録されている新幹線の事故のやつがいちばん良かった〜。エモかった。すごかった。ふぅ…と大満足で本を閉じた。この感覚が好きなんだった。読書。青春。LOVEだよ。人間を描いている。天才。しゅごい。本当に良かった。カタルシスを得た。

余談だけど前の主治医がSFファンだというので当時読んでたこれを恐る恐る勧めてみたら、表紙で引いていた。

 

 

 

⑤「FICTION!」石丸元章文藝春秋.2006)

 

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人生の問題に直面していて、ピッタリのときに、ピッタリの本を手に入れ、ピッタリの答えを得たとき、多分それは偶然ではないと思う。いや、ピッタリの答えは全く得られてないけどね。でも私はこんな感じでたのしく生きてゆきたいかもねって笑えたので。売れてない昔の本だからガビガビの画像しかなかったー。今年はこの人に死ぬほど影響を受けました。マジでバレバレすぎるくらいに影響を受けた。私がやっていること/創っているものに色が出てしまっっている、ウケる。ドラッグの取材を始めるうちに自分がドラッグにのめり込んでしまったというノンフィクション作家の石丸元章、どうして今まで知らなかったんだろうというほど、私はこの人の文章が本当に本当に大好きだと思った。この人が好きだし、この人を好きな人のことも多分好きだな。ほんと、どうして今まで知らなかったんだ? 今の環境と今の年齢だからこそ見つけられたのかもしれない。自分の輪郭がリアス式海岸のように歪な形をしていて、このめちゃくちゃな本が、それにハマってくれた感じがする。この本はフィクションで、短い話が20個くらい。生きていくための視点に「!」をたくさんくれる。これ絶対にフィクションじゃないよね、でもフィクションだよ、だって本人がフィクションって言ってんだからね。何が良いかというと、なんといってもこの文体。ポップでイリーガルでインモラル。クソなのにロマンチック。最高。ハイテンションかと思ったらダウナーで、いきなり人生の真理みたいなこと言ったりして。これ完全に、悪い大人になっちゃった元優等生だな。超わかるよ。ありがとね。何回でも読もう。シラフはつまんないしアスファルトの上は退屈だけど、この人の本を、いつまでもお守りみたいに信じていたいと思いました。何もかも嫌になっちゃったら、路上に寝よう。そしたら空が見える。私かなり地面スレスレの感じで生きてるけど、毎日どうにかこうにかって感じかもしれないけど、それでも、生きてると良い作品に出会えるもんだなって思った。これなー本当に最高だから読んでくれっつって100冊買って配って回りたいくらいだけど、でもきっと読んだらゲボ吐いちゃう人がいるんだよ。それに、品性を疑われそうだから。と思って、書くの迷った〜。けど書いちゃった〜。つまり宝箱みたいな1冊を見つけたわけ!憧れが増えました。告白かよ。実質コクった。好きです、長生きしてください。好きすぎてTwitterアカウントをフォローできないからこの気持ちはガチのやつ。キモイ。だめだ。屈した。でも絶ッッッ対にリアルで仲良くなれないタイプの人だ

 

 

 

 

 

 

ちょっと思い出したので書き留めておく話:

もう何年も前、密かに憧れていたミュージシャンの方と対バンする機会があり、その方はわりと本を読まれる方という。本に関わる場所(伏す)でバイトをしていると聞き、息巻いて「え!!なんかおもしろい本ありますか!!」とアホな質問をした。すると

『売れてる本。売れてる本は面白いよ』

それ以来ずっと受け売りで私もそう言っている。忘れられない言葉である。そして実際にそう思う。売れてる本はおもしろい。だからデカイ街のデカイ本屋に行く、ブックオフに行く、賞レースをチェックする。売れてる本を求めて。

 

以上

2022年11月〜12月

久しぶりに日記

 

11/11(金)渋谷 Rラウンジにてライブ

アウェイかと思ったら、思いのほかみなさんが真剣にステージを観てくれて、本当に嬉しかった。ラッパーの出演者さんからは盗めるスキルが本当に多かった。言葉を磨いていけば、クラブの現場でも私は全然観てもらえるのかもしれないなと思えた。またクラブでライブがしてみたい。アコギ弾き語りで。難しいかな。みっちゃん(旧知のダチ。Rラウンジのスタッフになったらしい)に連絡してみようかなあ。

そういえばみっちゃんの手料理で「なんかの肉をトロトロになるまで塩味で煮た」やつを食べさせてもらった。めちゃくちゃ美味しかったけど、暗がりで、なんの肉なのかわからなかった…。トロトロだった…美味しかった…

「さゆゆ大人になったね」「ポエトリーの大会、かませよ」「アルバム聴いとるよ」「はよギターにピックアップつけえや」「キショ」などと私を泣かせてくるんだよこの人は。会って喋ると泣きそうになってしまう。彼女もいろんな歴史を携えて今生きていると思われるので。彼女に恥じない生き方をする、そんでもっともっとかっこよくなる

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チャラい関西弁でたまに口が悪いけど、熱いハートを持った最高のダチ。私もこんなふうになりたいよ

 

 

11/15(火)日暮里 工房ムジカにてライブ

 

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ここには猫がいる。そう。猫がいるのだ。クリムという5歳の保護猫が。いる。猫がいるということ。まず、私はこれだけでこの会場が大好きになってしまった。さらに、大きな本棚。びっしり詰まった本。詩集や、同人誌や、ちょっと危険な匂いのする本まで、たくさん。さらにここが好きになってしまった。

この日はオープンマイクイベントのゲストライブ枠として呼ばれていた。結構しっかりやれたと思う。観ていただきありがとうございました。

オープンマイクは大盛況で、ウクレレ口琴、朗読、フラメンコダンス、ギター弾き語り、ラップ、舞踏などバラエティゆたかで盛りだくさん。めっちゃ刺激を受けた。そしてこの多様性をアリとする、とびっきり自由で、雰囲気もよくて、店長さんのご飯も美味しい、この会場を、もっともっと好きになってしまった。その頃には私の頭の中にはひとつの考えしかなかった。

「ここで働かせてください」

2日後、面接をした。採用してもらえることになり、初回は未定だが、バーテンやらせてもらえることになった。初回はまだだけど、とっても楽しみ。友達みんな連れてきたい(猫アレルギー注意だけど…)

 

 

 

11/19(土)立川A.A.カンパニー「KOTOBA Slam Japan 西東京大会」


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正直、こういう場に出るのは、「ここで知ってくれた人が普段のライブにも来てくれたらいいなあ」という打算もあって出場している。ごめんなさい。もちろん、ルールに則って自分のパフォーマンスを爆発させるのは本当に楽しい。勝敗がつくのも楽しい。やるからには勝ちたい気持ちもあるが、どちらかというとエンジョイ勢なのかもしれない、私は。今回もまた勉強になったし、いろんなスキルや表現方法を盗めた。準決勝で負けちゃったけど、負けるべくして負けたなあという感じだったので後悔はない。次の自分のライブで準決勝の演目「ギター講座」をやろうかな〜と思った。普段25分くらいの持ち時間でライブをやらせてもらっているから、3分は、普通の感覚では、まあ短すぎる。でも、いい訓練になる。普段やらないことだから。3分のパフォーマンス、たった3分で何ができるか、何を見せるか、何を伝えられるか、考えて考えて、当日持っていく。その宝物のような作品を、勝敗のつく場に出すんだよ。本当に楽しい遊びだよ。

ちなみに1回戦のバンドとのセッションは、「元気いっぱいのエイトビートをください」とお願いしました。

 

 

 

11/24(木)高円寺 無力無善寺にてライブ

これは差し入れで頂いた食パン 美味しかったよー

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「誰かに宛てた曲」を中心にセットリストを組んでみた日だった。でも私の曲の半分くらいはそういう曲で溢れてる気がする。

楽器をもっと練習しなきゃと思わされる日だった。次の無善寺までにまた新曲を作っていきたい。今クリエイティビティ湧いてるから。

めくるめくゲイセックスの話をきいた。尻穴を洗浄してもたまにうんこが出てきてしまうことがあるらしく、そのうんこがついた竿を受けにフェラさせるという「最悪のヤンヤンつけボー」ということがあるらしい。申し訳ないけど大爆笑してしまった。

 

 

12/2(金)富山市 カプリチョにてライブ

 

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行って本当によかった。東京で会う友達がたまたま富山旅行の日程と重なって、来てくれたり。幼なじみが来てくれたり。実家の家族が来てくれたり。

みてくれた父に、「お前の歌は、やっぱりラップなんやなあ」と言われた。そんなつもりはないが、難しいところだ。たぶん父はその辺の解像度が低い。でも詳しくない人からしたら私だってラップに見えちゃうのも仕方ないのだ。

また富山に来たい。もうこれで吹っ切れたので、富山出身っていうことを推していこうと思う。私の芸風は、富山ではかなり珍しがられるらしい、ということがわかったので、やりがいはあると思う。

 

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もっとかっこよくなりたい。いい曲作って、歌って、形にして残す。

でもやっぱり、私、ライブハウスやバーで、目の前で人間が何かパフォーマンスしてるのを見るのが好きだ。もっとかっこよくなりたい、ギターと声、補い合いじゃなくて、どっちも、どっちかだけになっても、強いような、強くありたい

そんで、来年は、誰かとまたフィーチャリングできたらいいな、スキルをあげて、めっちゃ練習して。私の声と誰かの声でなんかやってみたいな

もっともっとかっこよくなりたい

紙の本アゲ

Twitter見る時間が減った。見るのがつらくなったのが半分、どうでもよくなったのが半分。

Twitter見る時間が減った代わりに何をしてるかというと、本を読んでる。めちゃくちゃ読んでる。先月は気持ちが落ち込んでて死にたいと思ってたけど、ちょっと前向きになれてきたから読書ができるようになった。図書館にかよってたくさん本を借りてきて、片っ端から読んでる。読んだら感想を投稿する。その繰り返し。楽しい。満たされる。

読書するとき、やっぱ電子書籍じゃなくて紙の本じゃないとダメだった。Kindleの無料お試しを少し使ってみたことがあるけど、すぐ使わなくなっちゃった。いいなって思う本を見つけてKindleで読んでても、LINEとかSNSの通知がポンときたらすぐそっちを開いて、それまで読んでた流れを全部忘れて。ダメだった。それらのうるさい通知を切っても、読書中に気になることがあったらすぐ別のアプリ開いちゃって意味ないし、結局私にとって電子端末はインターネット遊びするためのおもちゃでしかないんだな。と思ったのでKindle使うのやめた。うまく使える人が使ってるのを見るとすごく便利なものに見える。羨ましい

たぶん、本とインターネットが、物体として切り離されてないといけない。パソコン閉じて、スマホを伏せて、本を手にとってページを指でめくるという行為を身体で経て初めて、本読んでる感じがするんだ。そういう儀式。信仰に近い。読書もインターネットも、いっしょの容れ物で両方やろうとすると中途半端になっちゃう。だからKindleで読んだ本のことをあんまり覚えてない。

将来的にはどうなんだろう、お気に入りの本がどんどん増えていったら。全部ちゃんと手元に持っていたい。でもうちの本棚そんなにデカくないし(すでにちょっと本あふれてる)、そしたら電子書籍使わざるをえん日が来るんかな

でも中村文則も言ってるけど「電子書籍じゃなくて紙の本を読んでる人はかっこいい」から…

あと本屋さんも図書館も、場所として大好きだし、これからも紙の本を求めて足を動かし続ける。たぶん

 

 

あ、

noteを開設した。

note.com

このブログとの使い分け方は、このブログが「自宅」「日記」だとしたら、noteは文学館って感じ。寝る前に眠剤飲んで、布団で「ここに何を投稿しようかな」って白紙の画面をひらいて、あることないこと入力してるうちに自然な入眠ができるのでとても良い。思えばインターネットをやり始めた頃からいくつかブログを使い捨てしてきてて、いちばんよく使ってたのがjugemのやつだけど、今はnoteがいちばん流行ってるように見える。もはやブログという言葉も死語になりつつあるんかね。

多摩六都に何があるのか?

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この土地に引っ越してもうすぐ4か月が経つ。ゴミの出し方、図書館の位置、街までの電車の乗り換え、だんだんわかってきた。

都心からはちょっと離れてしまったけど、普通に暮らすには全然問題ない。ちょっとした道でも前の街より広々として気持ちいいし、犬や猫をよく見かけて癒される。自然が豊かなのも嬉しい。だんだん好きになってきた。

 

今住んでるエリアは「多摩六都」と呼ばれるらしい。ここが今の生活圏内だ。

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5つしか自治体がないのに六都と呼ばれるのは、西東京市が昔2つに分かれてた(田無市保谷市)から、だって。へぇ〜

住んでいるの市の図書館はもちろんのこと、隣接してる市の図書館も利用登録できたので、うまい具合に併用している。どっちかの図書館にない資料がもう片方の図書館にあったりすることが結構ある。とっても楽しい。

 

この辺は「人が住むためのエリア」って感じで、遊べるようなスポットはあんまりないのかなー

いくつかは知ってるけど…

 

西武線にずっと乗っていけば西武園ゆうえんちに行ける。

www.seibu-leisure.co.jp

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このへんを支配してる電車は西武線。今まで東京で暮らしてきて初めて使ってる路線だ。西武新宿線とか、西武多摩湖線とか、いろんな種類があってまだよくわかってない。その中の、西武ナントカ線に乗ってその果てまで行けばあるらしい、西武園ゆうえんち。あるのは知ってる、行ったことはない。そもそも私は遊園地というものに行ったことがあんまりないのだ。でも観覧車があるならちょっと行ってみたいな。観覧車は好き。

 

 

多摩湖もあるらしい。湖?

www.city.higashiyamato.lg.jp

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通称「多摩湖」だけど、湖じゃなくて本当は人工貯水池なんだって。へぇ〜。周囲をぐるっとウォーキングやサイクリングできるらしい。いいなー気持ちよさそう。そういえばこの前電車で乗り換えをミスった時に、うっかり「多摩湖行き」のやつに乗っちゃったことがあった。あれに乗ってれば多摩湖へ行けるんだな。このあたりは川も海もダムもないからちょっと寂しいと思ってた。大量の水に圧倒されに行こう!

 

 

多摩六都科学館はいつか1回訪れておきたいな。

www.tamarokuto.or.jp

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全体的にキッズ向けの施設なのかな?と思ってるけど、なんかめっちゃデカイプラネタリウムがあるんだって。世界一認定だとか。一人でフラッと気軽に行ける感じだし、暇な日に行ってみたい。

 

東久留米の「スパジアムジャポン」もめっちゃ楽しそう

www.spajapo.com

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ここに引っ越してくる時に、不動産屋のおじさんが「こういうのがあるよ」って教えてくれた。知らんかったけど人気のスポットなんだって。温泉とか岩盤浴とかある、要はスーパー銭湯の超最強のやつ。サウナもあって、漫画も何万冊と置いてあって、レストランもカフェもあって、マジで1日過ごせるんだってさ。いいなー。駅からは遠いけどシャトルバスがあるみたい。手厚い。

 

 

というわけで、ご近所の方、このへんのおすすめスポット教えてください!

 

 

引っ越してきてわかったけど、このエリアはそこまで駅が細かくあるわけじゃないっぽい。東久留米なんか、駅ないじゃん!まあ、都心でもないし、そうよな。だから車がある人にとっては暮らしやすいのかなー。このへん車ビュンビュン走ってるし。でもチャリあれば、意外と行動範囲広がるかも。長いサイクリングロードあるし!どこまでなら行けるかな? 引っ越すときに一応チャリ持ってきたけど放置状態で全く乗ってないから、乗れる状態にして夏はいろんなところを探検したいな。まずはチャリのメンテするか〜。

アル中の妊娠についてみんながくれた言葉

できる範囲で、入院中のことで印象的だったことをボチボチブログに残そうと思う。

(今日の文章はプライバシー保護のため少しフィクションです)

 

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入院病棟は、閉鎖とはいえ8階だったため、晴れた日の眺めは最高だった。富士山だって見えた。夏の終わりには遠くの遊園地の花火をみんなで見た。

 

私たちの病棟は通称「プログラム」がある。

治療プログラム。午後の時間だ。内容はいろいろで、二人一組になってコミュニケーションの練習をしたり、フリーお題でひとことずつマイクを回して話したり、ハンドマッサージ体験をしたり、塗り絵スクラッチアート書道読書など趣味活動の日があったり。アルコール依存症の勉強をしたり、他の病棟や回復施設とZOOMをつないでメッセージのやり取りをしたり。たまにはレクリエーションでかき氷大会やスイカ割り大会なんかもあった。

そのなかで私が楽しみにしていたのが「女性ミーティング」だった。この病棟の男女比は9:1くらいで、女性メンバーはみんな顔と名前を覚えてしまって当然だった。狭い部屋に、椅子を丸く並べて向かい合って座る。アイスブレークとしてお題でひとこと話した後は、フリートークタイム。「ここでしか、女性でしか話せないような悩みとかあれば、話してみるのも良いかと思います」

アイスブレークが終わると、大抵沈黙になる。誰かが何か話し始めるのをみんな待ってる。

 

私は、ずっとみんなに聞きたいことがあった。でも、聞くにはとても勇気の要る質問だった。その日、なんとなく行けるような気がして、勇気を出して沈黙を破った。手を上げる。

「えっと、片山です。…私は今、子どもがいないんですけど、」少し声が震えたが、落ち着いて発語できている。自分にとって本当のことを話すときは、いつも声が震える。「みなさんの、妊娠と出産の話を聞きたいです。自分は近い将来、…5年後とか、までに。子ども、産みたいかもしれないと思ってて」みんな頷いてくれている。ミーティングの雰囲気はいつも優しい。「妊娠中とか、授乳してる頃って、みなさんどうやってお酒我慢してたのか。自分はお酒だけじゃなく薬も、我慢できるのか、不安で。……よかったらみなさんどうだったか聞きたいです」

男性患者がいる場ではとても口にできない悩みだった。でも、この場には母親として生きてきたアル中が何人もいる。

はい、とすぐ手をあげてくれたのは隣室のKさんだった。年季の入った筋金入りのアル中だ。「私は飲んでました。ビールを1日コップ1杯くらい。うちは息子二人産んだけど、今はもう両方一人暮らししてます。どちらも幸い使い物にはなる頭で。奇形児でもないし」

奇形児。自分にとってタブーのように避けていた言葉が不意に投げ込まれて心臓が跳ねた。この場に、そういった事情のある育児経験を経たメンバーがいるのではないかと一同を見回してしまったが、取り乱す様子を見せるメンバーはいなかった。

「私も飲んでた」同じく隣室のOさんが手をあげながら言う。「でも、私もビール飲みながらおっぱいあげてたら、あるとき子どもの目が真っ赤になっちゃって。びっくりして、それからはやめました」一部からエェーと声が上がる。「でも、それっきり何もなくてよかったけどね」とOさんは笑う。

「アタシは今まさに妊活しててー」Tちゃんがあっけらかんに言う。「婦人科もしょっちゅう行ってる。なんかさ〜ああいうとこ行くと、酒もタバコも『ママやめて!』とかって妊婦の心に訴えかけてくるポスターめっちゃ貼ってあるけどさ、ああいうの。でもぶっちゃけ我慢することがストレス溜まって溜まって病んじゃうくらいなら、ちょっとくらい飲んでもいいんじゃね?と、アタシは思いまーす」

「うんうん、妊娠中はストレスがいちばん良くない」Hちゃんも同調する。彼女は2児のママだ。とある臓器の移植を受けていて、飲酒を控えるよう言われていたらしいがどうしてもやめられなかったらしくこの病棟に来たという。「でも、私の場合だけど、妊娠したら責任感が生まれて。お酒とタバコはやめられたよ。タバコはもうそれっきり吸ってない。私の場合だけどね」

黙って聞いているメンバーも、発言こそしないが優しく頷いてくれている。

「でもぉ」Aちゃんが明るい毛先をくるくるいじりながら話の流れを変えた。「我慢できるなら絶対、ゼーったいそのほうがいい。もし仮に飲んだとしてー、それが理由でも理由じゃなくてもだけど、障害児とか奇形とか生まれたら、さゆりちゃん絶対ずっと自分のこと責め続けるじゃん。そんなの絶対しんどいと思うし、後悔するくらいなら我慢した方がいいよ」私の目をまっすぐに見つめるAちゃん。高校生の頃から飲み始め、夜の仕事に二度の離婚を経たシングルマザー。たくましい。私より年上なのに私より若々しい。

「でもね」Mちゃんが言う。「不安になる気持ちはすごくわかる。けど、不安に思って何もしないよりは、チャレンジしてほしいと思うなあ」Mちゃんの言葉がずっしりと届く。「うち、作ろうと思ってもできなかったから」Mちゃんは2年前、旦那さんを突然の病気で亡くした。それからMちゃんは連続飲酒状態になり、この病棟にきたという。

「チャレンジチャレンジ!」「それは間違いなくそうね」「うんうん」「まだまだ若いんだからこれからだよ」

 

この間、ずっと涙をこらえていた。泣いてるのがバレてないか必死で平静を保っていた。嬉しかった、根拠はないけど大丈夫なんだと思った。

みんな同じ境遇だけど、ちょっとずつ違う。その中で、ほんの少し先を歩く人たちがくれる言葉の、なんと優しく温かいことか。きっと大丈夫だよ。まだこれからだよ。絶対よくなるよ。

私もいつか、みんなみたいに、たとえ傷だらけでも、お母さんになれるだろうか?

 

このあと話題は、病院の喫煙時間が短すぎるという苦情に移り変わっていった。笑ったり、病院の文句を言ったり、病棟の誰かのおもしろ話をしていたら、いつの間にか涙も引っ込んだ。

それでも、この日の「女性ミーティング」で話された全ての言葉を、私はずっと忘れないと思う。入院してよかったと思えた日だった。

ODをしている友達とODをしている私

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ODをしたときだけメッセージを送ってくれる友達がいる。いわゆるラリっている時だ。私も正気を失っている時にメッセージを送ることがある。不思議なつながりだ。メッセージが来ると、ちょっと嬉しい気持ちになる。

彼女とは音楽活動の中で知り合った。とても魅力的なパフォーマンスをする子だ。初めて会ったときも「今ODをしている状態だ」とこっそり教えてくれたから、私との初対面を覚えているかはわからない。笑

 

ODの話をしようと思う。

そもそもODって何なのかというと、

オーバードーズ」とは、多幸感を得て精神的な苦痛から逃れようと、医師が処方した薬やドラッグストアで買えるせき止め薬などを大量に摂取することを言います。 一方で内臓にも大きな負荷がかかり、機能低下を含めた悪影響が起こる可能性もあるほか、一度依存するとなかなか自身で離脱することは難しくなります。

いわゆる過剰服薬のことである。少なくない人がODをしている。特に若い人。SNSを見ていると、薬の乱用で真っ青になった舌や大量の咳止めの空き瓶などの写真、OD友達募集、ラリ通話募集などのハッシュタグが散見される。同じようにリストカットをする人もいる。

私もODをしていた。入院にも至った。なぜODをするかというと、理由はいろいろあるが、気持ちがラクになるからというのが大きい。その効果が、他の方法の比にならないくらい依存性が高いのだ。ただの遊びで済めば良かったが、たまたま私とは相性が良すぎた。

良く言われるのが、ODをすると「フワフワして楽しい。嫌なことを忘れられる」。また、薬の「脱抑制」と言う作用によって、攻撃的になったり、気持ちが大きくなったり、いわゆる「ラリったり」する(※これは自分で勉強したことなのでちょっと違うかもしれない)。私も苦しいことや生きづらさがあって、壁を乗り越えるためにODという手段を使っていた。

ODについて話すとき、私は肯定派にも否定派にもなれない。どちらにも寄れないド真ん中の、渦中の存在だからだ。こんなことを言うと叱られてしまうだろうか。いろんなところからの「やめとけ」って声は聞こえている、体に良くないのもわかっている、命を落とす可能性だってある。うん、本当にそうだ。ODなんてやるもんじゃない

でも、その一方で、「そうしなければ生きていけない」私たちを抱きしめたい自分がいるのもまた事実なのである。みんなが禁じるなら、罰するなら。せめて私だけはいいよって言いたい。

死のうとしてODをする人もいる。だけど、少なくとも私は、生きたくてODをしていた。押し寄せる荒波にのまれないために、薬を使って必死で生きていこうとしていた。それなのに結果的には死に近づいて入院してたなんて、変な話だ。

ODをする人が本当に必要としているのは、薬ではない。薬に手を伸ばしてしまう理由を見つけて、それを解決することだ。ODの原因であるしんどさや生きづらさや苦しさを癒すことなのだ。そうすれば、ODは、誰かが無理にやめさせなくても「自然に止む」という。でも、ODの原因である苦しみに向き合うのは簡単なことではない。時間をかけて別の心の不調を治療したり、福祉の支援につながったり、場合によっては仕事や住む場所を変えなければいけなかったり。これは私の考えだけど、ODをする人たちは「待つ」ことが苦手だ。腕を切って目に見える血を出したり、飲めばすぐに効果が出てラクになれる薬のようなものに慣れきっている。長いスパンでものごとの変化を待つのが苦手な気がする。だから時間をかけて自分の苦しみを紐解くのはしんどい。直接のODの原因がわからないかもしれないし、様々な背景が複合的に影響しているかもしれない。なんにせよODは一朝一夕でやめられるものではない。

だから、「ガス抜き」程度のODは許されてほしい。

わかっている、繰り返すうちに量も回数も増えていくってこと。その末路も。わかっている。それでも、今この瞬間に、ODか死ぬかの岐路に立たされている人からODを奪わないでほしい。それは死ぬためのODではなく、生き延びるためのODだ。私は、ODをしていたからなんとか生きていられた。生存者バイアスだろうか。ODで命を落としていた可能性だってあった。だけど自ら命を絶つよりはODに賭けたかった。動かない体を動かしたかった。バイトに行かなければいけなかった。不安を消したかった。夜眠って朝起きなければいけなかった。ちゃんとしたかった。ちゃんと生きていたかった。そのためにODが必要だった。ODを松葉杖にして歩いていた。

その松葉杖を、OD以外に置き換えていかなければならない。自傷行為や、薬は、裏切らない。やった分だけ返ってくる。だから信じられる。でも。

 

今私のODは、全盛期よりいくぶんおさまっている。入院を経て薬を減らして、住む場所を変えたのが大きいのかもしれない。それでも、ODの欲求がなくなったわけではないし、何より依存症(OD癖=薬物依存症と言える)に完治はない。だから、通院は続く。私も、自分の中の生きづらさや苦しみ、ODの原因となってしまったことを紐解いているところなのだから。

 

もしもODをしている人に声をかける時、頭ごなしに叱らないであげてほしい。きっと、ODに至るまでに苦しみがあったから。その上で、「あなたがいなくなったら寂しい」「やりすぎちゃだめだよ」と優しく声をかけてほしい。話を聞いてあげてほしい。

そうしていつか、松葉杖なしで歩けるといい。