無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

陽性さん

新型コロナウィルスに感染してしまった。現在、10日間の自宅療養中の7日目だ。

先月末のことである。夫が何のまえぶれもなく高熱を出した。「まさか…」と思っているとその翌日に自分も高熱が出た。普段、咳や鼻水の症状は出ても発熱することが滅多にないので少ししんどかった。二人でPCR検査を受けようと近隣の病院に朝から電話をかけるも1時間以上どこも繋がらない。混雑しているようだった。熱が39度まで出ていた。絶望感があった。そうだ、これはただの風邪ではない可能性があるのだ。そう思うと怖くなる。その後とあるクリニックに電話がつながり、診察の予約を取れた。

20〜30分ほど歩いてクリニックに到着。発熱症状が出ているため建物内の待合室に入れてもらえず、外で待つ。どうやら他にも同じ境遇の患者がいて、外で待っている。サクサクと診察が進み、やはりコロナの疑いがあるようでPCR検査を受けることに。「これに唾液を出してください」とプラスチックの試験管を渡される。待合室にはいさせてもらえないため、再び外に出る。レモンや梅干しの画像を見ながらダラダラと唾液を出す。なかなか結構な量、出す。

「明日結果を連絡します」とのこと。夫は喉の痛み止めを、私は解熱剤をもらい帰宅。ライブ出演予定だった無力無善寺に出演キャンセル希望の連絡をした。

翌日の夜、病院から電話。「結果、お二人とも陽性でした。保健所に連絡入れときますね」。感染経路はなんとなく予想が立っていたところだったので、やはりという感じだった。その頃にはもう熱が下がっていたのである程度ラクになっていたが、咳が出始めていた。晴れて陽性となり、これで10日間、大手を振って療養である。

その次の日の朝、保健所からSMSで連絡がきた。ああ、ちゃんと国が機能してるんだな、と思う。そしてコロナ関連のお仕事に携わってるみなさまありがとうございますという気持ちになる。SMSのメッセージ内容が要領を得ないのでよくわからなかったが、基本的には自宅療養しろという方向らしい。SNSでコロナ感染した知人の投稿でホテル療養になった様子を見ていたので、自分もそうなったら面倒だと思っていた。今のところ自分は軽症のようで安心したが、もしかしたらこれから重症化するかもしれない。どんよりした気持ちになる。試しに「コロナ 症状」でツイート検索をしてみると、重症化した人や後遺症に苦しむ人の声ばかりがヒットした。不安になったので即やめた。

ほぼ同時のタイミングで夫婦ふたりして倒れてしまったわけだが、自宅療養中は買い物に行くことができない。それで、住んでいる街の保健所のHPから食料物資の支援を申し込んだ。患者一人につき段ボール3箱分の飲食品を自宅までわざわざ届けてくれるという。一応ふたりで6箱受け取ることはできるが、とりあえず一人分だけ申し込む。夫が申し込みフォームからポチポチと送信。

2日後(2日待った。さすがに即日は難しいよね)、玄関のドアを開けるとそこには段ボールが3箱。置き配である。インターホン押してやりとりしてる時間すら勿体ないくらいたくさんの家を回っているんだろう。それに感染するリスクだってある。配達してくれた人に頭がさがる。

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↑届いた物資の一部。ホームパイ4袋、飲料水12リットル、エナジードリンク6缶、サトウのごはん10パック、パスタ、パスタソース、春雨スープ、海藻サラダ、レトルトカレー、インスタントみそ汁、フリーズドライおかず、カップめん、みかんゼリー、プロテインバー、などなど。これはありがたい。待った甲斐があった。一人分でこの量か〜と思うくらい、結構バラエティ豊かにいろいろ入っていた。10日間自宅で療養するとなると確かにこのくらい必要かもしれない。しかし、たまたま家に食べかけのホームパイがあったのに、よりによって物資のお菓子のチョイスがホームパイなのが残念である。ファミリーパックサイズが4袋も。ホームパイ。好きだけどホームパイ。これは自治体によって支援物資の中身は違うんだろうか。ちょっと気になる。

 

というわけで、これらの食品に助けられながら10日間の自宅療養を続けている。私は今日含めあと4日だ。朝は10時くらいに起きて、洗濯機をまわして、テレビのニュースやお昼のワイドショーを見て、Youtubeサーフィンをして、しんどくなったら横になって、テキトーになんか食べて、風呂に入って、日付が変わる前には寝る。そんな感じでダラダラと暮らしている。外に出たい。現在の症状としては、咳が出るくらいで、それ以外はほとんどおさまっている。ただ、もともと呼吸器系が弱いタチなので、この咳が長引いたり後遺症にならないことを祈っている。いつも簡単にこじらせて肺炎などになりがちなので。

 

暇だと病む

失敗や辛い経験が人を強くするという説があるが、一概にそうとは言えないと考えている。それに耐えきれずに死んじゃう人なんかもいるからである。そしてその層に当てはまるのが自分なんじゃないかと最近思う。それで、死んじゃわないようとにかく無理をしないように暮らしてきたが、無理をしなすぎてここのところとにかくネガティブだ。不安になって酒を飲んだしパキった、もちろんひとりぼっちで。何かを成し遂げたり華やかにいたいという欲求も薄い。エネルギーが足りない。焦りすぎているのかもしれない。単に人生の中でそういう時期なだけだと思うが、落ち込み気味で、正体不明の不安があり、生きていることに対して罪悪感があり、人生が永遠に終わらないマラソンのように思えてくる。螺旋のように上へ向かうとばかり思っていたこの日々は実は同じところをぐるぐるループしているだけだったとしたら。こんなことを書いたら怒られるが、自分の葬式のことを考えてみたりした。追悼イベントに人は集まるだろうか。告知ツイートはどのくらい伸びるだろうか。誰もこないだろう。コロナで自粛だし。そもそもそんなもの誰が開催してくれるんだろう。私は誰にも知られずにひっそり死ぬのだ。さゆゆ結局依存症に勝てなかったね。惜しい人を亡くしたね。まだ若すぎるのに。あなたのこと忘れないよ。

 

あああやだ!悲劇のヒロインか!

 

お前、暇なんだな。諸悪の根源は「暇」である。暇なときは病みやすい。でも環境の変化は怖いし、何かに挑戦したり頑張ったってどうせうまくやれないし、そうやって傷ついてまたすり減っていくくらいなら最初から何もしたくない。

お前、最悪なんだな。

歌う女と彼女を見守る人

たまたまだった。彼女を知ったのは。友達のバンドの共演者、対バンにぽつりと一人ギターを背負ってステージに現れたのが彼女だった。

その歌に魅了されるのに時間はかからなかった。彼女は希望を纏っている。彼女は闇を纏っている。彼女は光を纏っている。彼女は憂いを帯びている。歌を歌う彼女は美しかった。

「あなたの歌が好きです」

伝えると、「ありがとうございます」と屈託のない笑顔を見せた。自信の表れだろうか。

彼女の歌は、いつだって彼女自身のことを歌っていた。お別れをした相手の歌、うまくいかないバイトの歌、他者を軽蔑して安心している歌、彼女がやめられない悪癖の歌、世界をめちゃくちゃにする想像の歌、大好きな文豪へ綴った歌、疎遠になった人に贈る歌。

私は人の話を聞くのが好きだ。それでも、ここまであけっぴろげにしてくれる話し手はなかなかいない。だから信頼ができると思った。この歌私のこと歌ってる、そう思わされる歌だってあった。彼女は、これでもかと自分の話を歌の形にして私たちにぶつけてくるが、なぜか安心できた。私だけじゃないんだと思わせてくれた。歌の中の「私」は、歌の中で壁に直面しても問題解決にそう簡単に向かうことはない。解決しないまま受け入れて歌は終わる。その先は、リスナーである私が考えなければならない。問題に直面するということ。彼女がどう壁を破ったかということ。私だったらどうするかということ。歌の中に答えはないから、考えなければならない。…そんなところも好きなのだ。

 

たまたま見つけた宝物のような歌うたいは、少しずつ活動をひそめるようになった。制作に集中すると言って、ライブはやらなくなってしまった。たまに更新されるSNSではたわいもない話。元気にしているのだろうか? 音楽は作っているのだろうか?

それとももう音楽に飽きてしまったのだろうか。

今日も私は彼女が古くに公開したSoudcloudの音源を何周も聞いている。彼女にとっては駄作だったのかもしれない。CDには収録されていない、だけど私にとっては一番大好きな歌だ。きっとこの曲の再生数のほとんどは私によるものだ。いつか彼女の気まぐれでこの曲が世界から消えてしまわないか不安だ。

でもそれでもいい。宝物のようなあなたが生きていてくれるだけでいい。あの時私はあなたの感性に確かに魅了されたのだ。生きていてくれるだけでいい。そうして、いつか、また何か歌を歌いたくなったら、私は必ず聴くから。私は、あなたの、ファンだから。

1129

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・18日と26日は無善寺でライブだった。どちらの日も、知ってる人や久しぶりの人が結構いて嬉しかった。お客さんにも伝わってる手応えがあった。れおなは家を出る前に何とか風呂に入ってきたと言っていた、声が透き通っていて歌がとても上手いのにいつも自分に自信がなさすぎてしんどそうだ。えあちゃんは綺麗なワンピースに反して足に合わないブカブカのエナメル靴を履いていた、人形みたいなのにやっぱりどこか生きづらそうだった。久しぶりに話せてよかった。私は無善寺に出演している女の子が好きだ。みんな苦しそうだ。

無善寺はお客さんとの距離が近いせいか結構「ヤジ」が激しくなりがちな磁場があって、自分の意図するライブができなかったことが私は何回もある。ていうかそもそも店主がヤジ飛ばしてくること多いし。もちろん無善寺以外のハコでも、そういう空気の場はあった。「センスあるね」「馬鹿じゃん!」「何歳?」「いいね」時として品のないヤジもある。【若い女消費】されたこともある。でも、百戦錬磨ってわけでもないけど今は慣れて、無視したり、適切に受け流したり、柔軟に反応できるようになった。お客さんも、楽しもうとしたり盛り上げようとしたりしてヤジ飛ばしてくるわけだし。いちばんは、ヤジも忘れさせるくらいの演奏をすることかなって思ってたけど、そこで生まれるお客さんとのコミュニケーションもライブの楽しみ。それに、真剣にやったらちゃんと伝わるから、誠意をもって続けようと思った。

 

・これたくさん見てもらえてうれしい。大会の配信動画から切り抜きして怒られるかなと思ったけど今のところ怒られない

 

・なんか最近、自分の宝物のような作品たちを、勝敗がつく場に晒してみて(もしくは自分が立って)て、遊んでいる。前は怖かったけど、遊びだって割り切ったら楽しく感じる。いろんな人がいろんなことを言うけど、音声やナマモノのアートは、絵や彫刻みたいに傷がついたら損なわれることはないので、自由に発表できて楽しいなあと思う。作品は、発表した(自分の手を離れた)時点で誰かとの共有物になる。世界という名のクラウドにアップロード。いつでも誰でもアクセスできるようにしようね

 

・レコーディングをした

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レコーディングは苦手、だれに歌えばいいのか分からない。こだわり出したらキリがないから妥協点も難しい。歌のヘタクソさも際立つ。でもやる。やり続ける。いつまでも大事に抱えてたら進めない。手放してまた作る。手持ちがなくなったらまた書けばいい。より良いものを。

 

 

・こないだ、退院してから初めて、依存関係のことで失敗をした。人に迷惑をかけて、つらい思いをさせてしまった。とても後悔しているから二度と繰り返さないようにする。友達はやさしかった。なんだか調子がいいと思っていたけどだめだ。私は坂の途中にいるボールのような存在で、いつも気を張っていないと、すぐに転がり落ちてしまう。生きていくのは苦しい。一分一秒を、正気で過ごすことさえ難しく感じるときがある。平坦な道に戻るのは無理だ。だから死ぬまで、何か健全なことで気を紛らわし続けなければならない。音楽を聴く。言葉を綴る。食事を作る。人と話す。すべての風景の中に酒と薬と狂気が潜む。どうしてもっと楽に考えることができないんだろう。欲望のおもむくままにしたら今度こそきっと命が終わる。苦しい。みんなどうやって生きているんだろう。うまく生きていくやり方が知りたい。

・たまたまだけど今日、入院していた時の同室の子から電話がかかってきた。同じ時期に病棟にいた男の人とつるんで、酒を飲んでいると言っていた。本当はさゆりちゃんのこと最初ニガテだったと言われた。幻みたいな3か月を思い出した。あの毎日はなんだったんだろう。

1122 いい夫婦の日

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突然「親子丼たべたい」と思う日があって、それがたまたま今日だった。簡単でおいしい。今日は赤黄緑で彩りもナイス、最高。

新しい音源を早くリリースしたい。新曲「星を撒いた街」のトラックがマジで本当にめちゃくちゃ良いから早く聴いてほしい。過去作の再解釈も同時に進めていて、ボーカルワークが大幅に変わる。わたしは歌を頑張る。あとこの冬こそは絶対に気管支と肺をヤらない。

1121 ベストポエット ネバーウィン

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昨日は「KOTOBA Slam Japan 2021 西東京大会」に出場してきた。これはトーナメント表。

夏〜秋の入院中に燻りすぎて、どこか活気のある現場に関わりたいなあと思ったのが出場のキッカケ。ずっと普通に音楽ライブするだけじゃなんか停滞を感じていて、ちょっと違う畑の表現を吸収して血肉にしたかった。新しい人たちに、片山さゆ里の名前、存在を知ってほしかったのもある。しかし、この大会に出たい!と決めたものの、その頃まだ入院していた。なので、退院後に出場できそうな地区予選を探したところ、退院後の開催日程で、エントリー枠が空いていて、かつ楽器使用OKという独自ルールが敷かれていた西東京予選。ここにしようと決めて、エントリー開始時間の18時に病院の夕食を食べながらスマホからエントリーした。直前に私のお相手の方がキャンセルになってしまったそうで残念だったけど、ひまこ・ヨーグルさんという方が出場することになり私の不戦勝は免れた。よかった。

立川に来たのは久しぶり。駅がデカくて歩くのが大変。実は8年くらい前に立川で子供に勉強を教えるバイトをしていて、当時住んでいた小金井市から足繁く通っていた。その頃から見ると駅周辺はちょっとだけ変わったけど、大きな建物とか駅自体はあんまり変わってない。


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初めてきた会場。フードメニューがあった、食べればよかった。

 

f:id:katayamasayuri:20211121214938j:imageスタッフパス代わり?のスタンプ。だるまさんかわいいね。(すぐ滲んだ)

 

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謎のゆるキャラのゾウさん。

 

なんやかんやあって優勝した。19歳で演劇を始めて、23歳で音楽活動を始めて、以来タイトル的なものをとったのは初めてなのでなんだか嬉しい。

エントリーした時点では「勝つぞ!!!!」という気持ちだったが、いざ蓋を開けてみると出場者が知らない人ばかりだったので勝つビジョンが霞み(弱…)、おとなしく人のスキルを盗むことに徹するイベントにしようと思って臨んだ。しかしいざイベントが始まってみると想像以上に「ガチ」だったので、これは私もガチで行かんと失礼にあたるやろと思い、全力でパフォーマンスした。

アーカイブが残ってるので見てください

youtu.be

試合を振り返ってみると、とにかく行き当たりばったりだった。瞬発力とひらめきで優勝したようなもん

1回戦は、勝っても負けても必ず観てもらえる3分をもらったようなものなので、いちばん新しく書けたやつを読んだ。

この日のパフォーマンスで読むために書いた文章なので、七五調で整えた。テキストの時点でリズムが整ってると、声に出して読んだ時にグルーブがブーストする感じがあって楽しい。また挑戦してみようと思う。内容は、自分の話ではないけど、これも私にとってはリアルの本当のことなので、めっちゃ切実。「あたし」は、どこにでもいる、すぐそこにいる

 

準決勝。お相手のひさがたまいさんがギターを持ってない!と気づいてプチ混乱が発生!どうしよう!私もギター持たずに行くか!?と悩み、1分で決断。答えは「読み慣れたテキストを新しい見せ方でやってみる」!

katayamasayuri.hatenablog.com

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ギターの使い方は、とっさのひらめきとしてはベストだったと思う。でももっとちゃんとやれたと思う。ギターごめんね

 

決勝。まさか決勝まで進むとは思ってなかったので何も考えていなかった。前里さんのゲストライブを見ながら作戦を練る…じゃんけんに勝った場合と負けた場合……私らしさを出すか新しいことをやるか……ギターを使うかやめるか……ここは素直にやり慣れた自分のスタイルで持ち曲を演奏するか……うーん。お相手の平田さんはHIPHOPの要素を出しつつフリーハンドな表現を見せてくる…私に拮抗するアイテムは何かないか…

そうだ!!

最近書いたHIPHOP韻踏み練習のテキストがあったじゃ〜ん

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いや意味わからんわ!!!!!!!!!!読み慣れてないし!!!!!!!!!

そう、テキストを落とし込めていない。ちゃんと自分で納得した言葉を声に出したいのだ。だから、ちゃんと心から言える言葉を言いたいなあ…

と思って、入院中に書いてた日記のページをめくってたら、必死で書いた言葉が見つかったので、素直な気持ちでそれを読んだ。自分の曲「歴史」とマッシュアップ。この瞬間にこれをいちばん言いたい!言わなくてもいいことを言いたい!という思いが爆発した3分間だった。

 

出場者の皆さんから盗んだものを少し

斉藤木馬。声の出し方からもう違う。お尋ねすると落語からの影響があるとのことだった。ちゃんと整えたステージ用の身体を用意するっていうのは、パフォーマンスにおいて一番大切なこと、いや、基本の基本かもしれない。身につまされる。歌う時に意識してみようと思った。

よ〜かん。全編ボイパでゴリゴリに攻めてくるかと思いきや、効果的な使い方!なるほど、ふいをつかれた。期待して期待して待ってて、ボイパが出てきたらとっても気持ちいい感じ。聴けたら嬉しい。それってエンタメ的な感じがする。テキストは叙述トリックみたいだった。

嘘つき。自由であること、表現って自由なのだ。愛、自由、ロックンロール、私ももっと軽率にそんなことを言っていい。ボーカルマイクにエフェクトかけることは思いつかなかった。あとやっぱテキストはある程度頭に入ってた方がいいんだなと思った、身体が自由だから。

ひさがたまい。カラッとした感じ。彼女も「パフォーマンス用の声」をしっかり持っているタイプだと思った。そういう演者、私は、第一声でビビらされてしまう。自分の話をあっけらかんとしたテンションで語ることは私にはなかなかできないので、挑戦してみたいと思った。

Satori K.O.。自分の体験を作品にするという切り口に強く共感した。特に、苦しかった体験を作品にするということは、私の中では「乗り越えるため」という側面がある。彼女の中ではどうなのかはわからないけれど、何かきっと信念があってのことだと勝手に思っている。作品を作ることは苦しみもあるけど、どうか幸せになってほしい。

平田純哉。演劇とHIPHOP、両方のルーツを強く感じさせるパフォーマンス。メッセージ性も強い。散文的なテキストでも、リズムや抑揚をつけた「読み方」次第でそれはリズムになる、ひいては音楽になりうるのだと。今一番やってみたい表現の先端に近いことをやっていらしたので大変参考になった。

ひまこ・ヨーグル。ステージはいつでも、はじめて立つ人を待っているのだということを思い出した。初とは思えない堂々とした立ち振る舞いとリーディングで痺れた。初心に帰ることができて、全力で私も予選のラスト決めさせていただきました。1回戦のお相手に来てくれて本当にありがとうございました。

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出場者とスタッフの皆さんで記念撮影。ライブハウスに集まれたことが本当に嬉しい、楽しかった。入院中に、都内で感染者数3000人超えたとかのニュース見ながら、もうこんな日が来ないんじゃないかと思ってた。

主催の多嘉喜くん、うめdaくん、お疲れ様でした、ありがとうございました。私は言葉の表現が好きだけど、やっぱり音楽も好きだから、DJタイムありゲストライブありの日で大満足な1日だった。

以上を踏まえて、アーカイブが残ってるのでよかったら見てみてください。

youtu.be

というわけで、全国大会が12/12(日)に浅草・蔵前にて開催されるそうなので、それに出場する。西東京代表になってしまったので、ちゃんと西東京を背負って勝ちに行けるよう頑張ってみよう。

 

ただいま〜って帰宅したら冷蔵庫にデカい蝶々が2羽もくっついててヒェッて言ってしまった(蝶々がニガテ)。旦那さんが買ってきてくれたシリコンミトンでした。かわいいね。生活はまだまだ続く。

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1116 すぐ疲れてしまう

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朝おきて昼寝レスで夜まで過ごすだけで1日疲れ果ててしまう。悔しい。こないだ久しぶりにずっと立ちっぱなしのライブハウスに行ったけど、3組も見られず疲れてしまった。翌日は10時半まで寝た。

 

ふとしたことから、厳重に封じたはずのトラウマの蓋がオープンしそうになる。取るに足らないことだって頭ではわかってるけど、やはりはらわた煮えくりかえるし。どうしたら乗り越えられるんだろう。別に乗り越える必要なんてないけど、こうしてたまに苛まれるのはムカつく。作品にしてしまったらいいんだろうか、失敗してきたことのすべてを。つらかったね、自分もだよって共感してほしいの?わからん。わからんけど、作品にすることで噛み砕いて飲み込んで次に進めるということは大いにある。それは途方もなくしんどい作業だけど。