無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

そこに私はいない

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昼間の灼熱が引きはじめる夕方を狙って、散歩に出る。細かいバリエーションはいくつかあるけれど、だいたいのコースはいつも決まっている。そこをただぐるりと歩く。iPodで音楽を聴きながら歩く。東京で歩くときとは違って、遠慮なく両耳にイヤホンをはめる。音量も上げる。何も聞こえなくなっても問題はない。車に轢かれることもない。不審者はいない。そもそも人間の母数が少ない。熊も夏のうちは出ない。道は広い。誰もいない。何もない。歌っても踊っても誰も見てない。

大好きなバンドの曲、歌詞はもちろんドラムパターンまで覚えてしまうほど聴いた曲をまだ飽きずに再生しながら、頭の中でそれを演奏する自分を思い浮かべる。ライブハウスのステージで、色とりどりの照明の中、しかしそこに私はいない。いるのは、今歩いてる私とはまったく違う誰かだ。故郷にいるときは、東京での生活のすべてが他人事みたいに思えてしまう。同じ肉体での、地続きの日々なのに。あいつ毎日なんとか頑張っとるらしいよって、まるで近しい友達みたいに。

聴き慣れた音楽は、私を、知っている場所へ連れて行ってくれる。この曲聴いてたときはあの頃であそこにいてあんなんやったなあと思い出せる。音楽をきっかけにして思い出す、場所やにおいや感覚がある。繰り返すほど色濃くなって消えにくい記憶になる。だから今の散歩コースを、夏の暑さを、景色の鮮やかさをこの先いつでも引っ張り出すためのインデックスとして、同じ音楽を何度も何度も繰り返し聴く。歌詞もドラムパターンも覚えてもまだ繰り返し聴く。聴きながら歩く。そうしておけば、もしもいきなり知らない場所に放り込まれてもその音楽さえあればここに戻ってこられる。大丈夫になれる。

家の前の道をくだって1曲め、広い駐車場を横切って2曲め、公園の中を通り抜けて3曲め、踏切を過ぎて4曲め、国道からはずれた道をのぼって5曲め、グラウンドの真ん中をまっすぐ突っ切って6曲め、別の踏切を過ぎて7曲め、残りの家までの道で8曲め。だいたいそのくらいで帰宅する。歩き足りなかったら同じコースをもう1周する。1周目よりも陽が落ちてるから、なんとなく歩みが早くなる。

 

去年の夏は毎日そうして歩いた。毎日毎日、同じ音楽を聴きながら同じ道を歩いて、夢想した。今年の夏もそうして歩いた。そうできた。もしも、ドラマのシナリオみたいにこの土地がダムに沈むようなときが来たら、声をあげて、もしかすると町役場で包丁を振り回して、私はたくさん泣くんだろうなと思った。