無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

Facebookに載せない近況

音楽やってる場合じゃねーんだよ!

 

3/20に富山の実家に帰ってきて、2週間が経ちました。静かに暮らしています。

とりあえず、東京にいたときよりも格段にすこやかに生きています。東京での日々がマジにワケワカンネーくらいすこやかです。前の夏に死んじゃった猫(ちろ)が家にいないのが、まだどうしても寂しいです。

ここがどういう場所かというと。ここはとても風が強い土地です。理屈はよくわからないけど、山のほうから吹いているそうです。びゅうびゅう吹きます。ここで育ったのでもう慣れたけど、眠れない夜は本当にうるさいです。ひどい時は、勝手口のポリバケツや花のプランターを玄関に入れて、車庫の扉の鍵をしっかり閉めて、雨戸も閉めます。それと、この町は国道に沿って広がっています。国道はビュンビュン車が走っています。家から最寄りのコンビニまでは1.5キロくらい。月曜日はトボトボ歩いてジャンプを買いに行きます。家を出て、坂をのぼって、ゲートボール場を過ぎて、神社を過ぎて、国道まで出たら国道のわきの通学路を歩きます。兄のクロスバイクを借りればすぐなんだけど、昔転んでちょっと壊した前科があるから、鍵の4桁の番号を変えられてしまい簡単には貸してくれません。うちの敷地の隣の畑は、昔私をいじめていた1こ上のイノウくんの家の畑。イノウのばあちゃんが畑仕事をしているので挨拶します。ばあちゃんとバローに買い物に行けば、近所の佐藤さんのお母さんがレジにいます。佐藤さんちは弟の幼なじみがいます。ばあちゃんと佐藤さんがじいちゃんの介護などの世間話をして、レジを離れます。

療養中ではあるけど、いつまでもニートしてられません。療養というのは、少しずつ社会復帰することでもある。それに、さっさと金貯めて、東京で待ってる恋人と暮らしたい。ところで、私は自動車免許を持っていないのだけど、このへんでは、(バスや電車がないことはないけど)基本的に車がないと街のほうへは行けません。さてどんなふうにして金稼ごうかと悩んでいたところ、なんと、うちの集落で唯一といってもいい商業施設(徒歩5分で行ける。チャリなら3分)がパート募集しているではありませんか。ソッコー連絡。しかし募集を締め切られていた(こんなに悔しいのは久しぶり)。でも欠員が出そうな感じで、欠員が出たらすぐに連絡くれるそうです。欠員出ろやー。

 

あと動画サイトでアニメ見てます。けものフレンズはとても良かったです。僕のヒーローアカデミアも毎週土曜の放送が楽しみ。今は動画サイトで機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズを少しずつ見ています。ガンダムみるの初めてなんだけど、なかなかおもしろいです。人がバンバン死んでいく世界観の物語に触れるのが久しぶりだから、少しへこむけど。あと、とにかく、スケールがでかいね。火星とか地球とか。勝手だけど、ガンダムって「男子のもの」だと思ってたけど、そんなことないんだなと思いました。

 

本も読んでいます。図書館行って借りて読みます。つくづく、やっぱり図書館という場所が好きだなあ〜と思います。地元にも図書館があって、そこは小さい頃から何回も何回も通ってるところだけど、資料検索などしてみる中で、今の私が読みたい本があんまり置いてないということが判明しました。ガーン。それで今日、去年?に改装されて新しくなった市立図書館の本館に初めて行きました。富山の、市街地のほうにあります。

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広かった。無駄に広かった。キレイすぎて引いた。天井高くてくらくらした。最後に来たのが、もちろん改装前で、高3とかの時だから、本当に久しぶりでした。広さに対して開架資料はそんなに多くないけど、そのぶん通路や閲覧席にゆとりがあるつくりになっていました。明るいし。カフェとか併設されてるし。あと児童書がめちゃ充実してたから、子どもの頃にここ来たかったなと思いました。そうでなくてもここ数年ヤングアダルトばっか読んでるから、この充実度はたしかなまんぞく。近所にあったら毎日でも通う建物。

図書は2週間、10冊まで借りられるので、10冊マックス借りてきました。あらかじめ探し物のリストアップしてからいったけど、人気の本とか話題の本ってやっぱり貸出中とか予約中が多いね。市内でいちばん大きくてキレイな図書館イコール利用者数多い し、よく考えたら当然だった。それでも棚をダラダラ見てたら「あ〜これも読みたかったやつだ〜」って本が次々に見つかったので借りました。この、ダラダラと棚を見てる時間が死ぬほど幸せなんだ……この本たち全部タダやぞ…タダで読めるんやぞ……。

村田先生

小学校の1、2、3年生のとき、担任は村田先生という先生だった。(当時は)若い、女の先生。年齢は、最後まで教えてくれなかった。干支ならどうかと思って「先生、何どし?」と聞いたけどもちろんダメだった。とても明るくて朗らかな先生だった。生徒のことは苗字にさんづけで呼んでいた。でも私の苗字はクラスに2人いたので、私と、私と同じ苗字を持つ男子は苗字でなく「サユリさん」「ハルキさん」と名前で呼ばれていた。

その頃の私は人前で話すことがとにかく苦手で、緊張するとすぐに涙ぐんでしまう癖があった。日直の生徒が絶対にしなければならない朝のスピーチや、授業中の発表など、いつもいつも苦痛だった。人前でも友達と話すように喋れるお調子者のクラスの男子が心から羨ましかった。ちなみにこの癖はなかなか直らず、結局中学生になっても目上の人と話すときは涙目になっていた気がする。職員室ではいつも緊張していた。

小学校3年生のとき、国語の授業で「おてがみ」という単元があった。元々は絵本になっている物語で、親友同士のカエルが手紙をやりとりするという内容だったと思う。その中で、片方のカエルが友達の「かたつむりくん」に手紙を託す。そこに関して、「直接ポストに入れればいいのに、なぜわざわざかたつむりくんに手紙を託したのか?」を授業で考える回があった。みんなが口々に意見をいう中、村田先生に「サユリさんはどう?」と当てられた私は、立ち上がり、恐々と、「かたつむりくんに手紙を託したのは、(かたつむりくんは歩くのが遅いから)お手紙が届くまでの秘密の時間が長いからじゃないかなあ」と震えながら自分の考えを答えた。クラス中から「えー」「そうかなー」などの声があがり、私はすぐに涙目になった。何も言わなきゃ良かったと思った。そこでチャイムが鳴って授業は終わった。それは4限のことだったので、次は給食の時間だ。

給食の準備をしている間、村田先生は連絡帳に何か連絡ごとのあった生徒を呼び出して個人的に話をしていた。その中で、私も先生に呼び出された。何かあったのかなと思いながら先生のところへ行くと、先生は「前の国語のとき、どうして泣いていたの?」と言った。私はそれを問われたことでまた緊張して涙目になってしまった。心の中の触っちゃいけないところに踏み込まれたと思った。ごめんなさいとも思った。何も答えずに黙り込んでいると、先生は「授業中、当てられるの嫌だった?」と言った。うまく何も答えられなかったので、とりあえず頷いた。

すると先生は「サユリさん、ちょっと来てくれる?」と、私の手をひいて、給食準備をする教室から抜け出した。どこに行くんだろう、何をされるんだろうとドキドキしながらついていくと、教室から少し離れた調理室に入った。

先生は、突然私を抱きしめて、「ごめんね、嫌な思いさせてごめんねえ」と言いながら泣き出した。びっくりしたし混乱した。大人が泣く姿を見ることなんて滅多になかったからだ。しかもそれが自分の担任の先生で、泣いているのはおそらく自分のせいだ。私はとにかく気が動転して何も言えず、泣く先生を前に自分まで涙目になっていた。

 

村田先生。覚えていますか。国語の時間に私が泣きそうになってたは先生のせいではないんだよ。泣いてた先生は何も悪くない。人前で話すのが苦手な私が悪いんだ。今は人前で歌まで歌えるようになったよ。20年弱経った今でもあの日のことが忘れられません。先生、本当にごめんなさい。

音楽の時間

三鷹にある「おんがくのじかん」という場所でライブをしてきた。

名前はよく耳にしていたが、初めて訪れた。地下に続く階段をおりて、恐る恐るドアを開けると、そこに「おんがくのじかん」はあった。こぢんまりとした空間で、小さなステージがある。ステージには「おんがくのじかん7周年」と丁寧にラクガキされた黒板。奥にはバーカウンター。

そして特に印象的だったのが、たくさんのCDと、とりわけたくさんの本だった。

何ヶ所かに本棚があり、そこにはみっちりと本が並んでいる。そのほかにも、バーカウンターにも背の低い文庫本たちがみっちりと並んでいた。その中に、私の好きな「古川日出男」という作家の掌編集「gift」のハードカバーがあったので(私は文庫本で読んでいたから気になって)手に取ると、便箋が1枚挟まれていた。見てはいけないと思いつつ短い文章なので読んでしまった。どうやらここの店主の菊池さんに宛てたもののようだ。どうしても気になったので、店主さんに「以前に出版などのお仕事をされていたのですか」と尋ねると、どうやら古川さんとお知り合いらしく、giftに挟まっていたのは担当編集者さんからの便箋だったらしい。古川さんの本は何冊か読んだので、「私も好きなんです」と少しお話した。その他に棚にあった本で気になるものがあったのでいくつか尋ねた。ボルヘスの伝奇集は「もろ古川さんの影響です」と笑って教えてくださった。

「ここによく出入りしている人には本の貸出もしているんです。作業が追いついてない本もあるけど、うしろに貸出カードが貼ってありますよ」とのことだった。許可をもらって、気になった本を数冊手にとってみたが、なるほど確かに背表紙をめくるとのり付けされた封筒から貸出カードがちょこんと顔を出していた。

まるでちっちゃい図書館みたいで、素敵だった!将来私も自分の本に蔵書票をつけて貸出とかしてみたいな、などと思った。

図書館は朝を待つ

一昨年の春から、図書館でアルバイトをしている。自分の所属する大学の学内にある図書館だ。

 

それは東京都心から少し離れた場所にある平和な教育大学だ。学生は、よく言えば真面目(悪く言えばダサい)。図書館の利用者は大半がうちの学生、教員、職員。あと、制限はあるけど一般市民も少し利用することができる。蔵書は教育関係のものが多い。教科書、指導書も豊富にある。当然それらの貸出が多い。

この大学は、基本的に教育を志す者、とりわけ教員志望が集まる。学類を大きくわけると、初等教育専門のA類、中等教育専門のB類、特別支援(盲学校や聾学校など)専門のC類、養護教諭(保健室の先生)専門のD類、あとはそれ以外(ちなみに私は1ミリも教育を志していないままここに来たのでこの「それ以外」に該当する)。勤務していて思うけど、資料の貸出は比較的にABCD類の学生が多い。「それ以外」が不真面目というわけではないけど、彼ら学生の真面目さにはいつも感心する。「なかなか見つからないこの論文をどうしても見たい」と食い下がる学生もたくさんいる。テストやレポートの多い学期末は特に忙しい。

 私たちの仕事は、主にカウンターでの貸出と返却の処理だ。他に、返却された資料の配架、地下書庫の資料の出納、見つからない資料の捜索などもある。1年目は、職員さんのいない土日にレファレンス(調査支援。調べ物の調べ方を導いたり使える資料を案内したりする)も少しやった。1度に入るバイトは3人。主に3人で、夜間の図書館を守る。時には職員さんたちは先に帰ってしまうので、鍵を閉めて守衛さんのところへ鍵を返す。

返却資料の配架は1人ずつ、1時間交代で行く。順番に、元あった場所に本を戻す。絵本、児童図書。展示コーナーの資料。文庫、新書、全集・叢書。普通の書架に並べられない、画集などの大型図書。0類、総記。1類、哲学、心理学。心理学の本がやたらに多いので少し面倒。2類、歴史。3類、社会科学。教育は370で、特に375は指導に関するものだからこのあたりの配架がいちばん大変。多分「ごんぎつね」の授業に関する本だけでも10冊くらいある。4類、自然科学。数学も化学も物理学もここ。理系の分野の利用者は男子学生が多いせいか、4類の棚はグチャグチャになっていることが結構あるからあんまり配架したくない。5類技術・工学、6類産業。このあたりのうちの蔵書はめちゃくちゃ少ない。7類、芸術スポーツ。舞踊に始まり美術、音楽、演劇、映画、スポーツ。8類、言語。TOEICのテキストなんかもここ。9類、文学。これは楽しい。本棚の隅まで、本当にたくさんのタイトルが並んでいる。この本ずいぶん古いけど最後に読まれたのいつなんだろう、とか、普通に生きてたらこんな本絶対に手に取ることはないんだろうな、そんなふうに思いながら書架整理をする。

地下には書庫がある。電動で開閉する棚が無機質に並んでいる。開架よりもっとたくさんの本たちが、ギュッと棚に詰まって静かに待っている。もちろん古い本もたくさんある。大正、昭和に使われていた教科書。私たちなんかには絶対さわれない貴重書。いったい、いつ誰が何のために書いた本なのか。だけどすべての本には生みの親がいて、きっといつかそれを手に取る人のために、その本を必要とする人のために、たくさんの背表紙が、ここで誰かの人さし指をいつまでもいつまでも待っている。すべての本には生みの親と歴史がある。地下書庫には、そういう無数の本が待っている。今日も明日も。

 

昔から図書館が大好きだった。地元の町は通っていた小学校のすぐそばに図書館があった。図書館の2階には児童館があった。図書館では、たくさんの本を借りて読んだ。絵本にも児童書にも飽きたら、性描写もろくに理解していない幼さで大人の小説を読んでいた。読みたいのに図書館にない本はリクエストして購入してもらったり、県立の大きな図書館から取り寄せてもらったり。司書という職業名すら知らない頃からずっと、カウンターの向こう側にいる大人に憧れていたので、図書館でのアルバイトは小さな夢のひとつを叶えることだった。

 

この図書館で働いて自分が意外だったのは、生まれ変わったら学校の先生になろうと思ったことだった。留年と休学を経ていた私には、働き始めた頃から同い年の同僚はいなかった。そのことに、チクリと胸が痛んだ。利用者の学生の「この本探してるんですけど」「この論文が読みたいんですけど」のひとつひとつに接するたびにも、どこか胸が痛くなった。X軸とY軸の座標の上で一生懸命に戦っている人たちを、私だけ遠く別次元のZ軸から見ているような気分だった。それで、生まれ変わったらまたここの大学に来て、ちゃんと教育実習にも行って、つらい思いもして、苦しんで、そのうえで、国語の先生になってみたいと思う。司書の資格もとって、司書教諭になろう。漠然とそう思う。具体的な理由はよくわからない。でもそのくらい、利用者の学生たち、教育を志す若者たちは、みんな眩しかった。そして、図書館で働けたのはとても尊い体験だった。たった2年働いただけだけど、地域の図書館ではなく大学の図書館で働くというのがどういうことなのか、入口くらいはわかった気がする。

 

一昨年の春から、図書館でアルバイトをしている。明日の勤務で、任期は終わる。

弱いまま開かれた世界へ

8年通った大学を3月で退学する。そのうち2年間は休学していたから実質通ったのは6年だが。

 

「大卒」の二文字が強いのは知っていた。強いっていうのは、就職とかにおいてだ。だから大学を卒業したかった。「大卒」という勲章が欲しかった。入学したからには卒業したかった。「時間かかってでも卒業しなよ」と言ってくれる人もたくさんいた。それに、私にとって「大卒」は、がんばったという印でもあった。高卒や中卒でもめちゃくちゃにカッコよく生きている人はたくさん知っているから、決して大卒をもてはやしているわけではない。それでも、私がこれから生きていくうえで、今どうしても乗り越えたい壁だった。がんばって受験して合格できた18歳の自分に顔向けできない。

授業に行こうにも、体はいうことをきかない。家を出られない。秋冬を迎えてそれほますます悪化した。生きることで精いっぱいだった。

卒業したかった。確かに、卒業したいと思っていた。私もちゃんとがんばれるんだよと私自身に証明してあげたかった。だけどもうがんばるのに疲れてしまった。8年かかって、さすがに笑っちゃうくらい疲れてしまった。自分が大嫌いになって、落ち込んで、とうとう大好きだった音楽も楽しくなくなるくらい疲れてしまった。それに、「大卒」という勲章にもさほど魅力を感じなくなっていた。視野を広げたら、なんであんなにこだわってがんばってたのかもよくわからなくなってしまった。思うようにいかず、つらくて、苦しんで苦しんだ8年の体験を通して、もう「大卒」以上の大きな何かを得たような気がしていた。

大学1年生の18歳だった私は26歳になった。

大学で学んだ大きなことは、「私は大学生に向いていなかった」という事実だった。

 

卒業のために協力してくれた人たちに頭を下げて、大きな挫折と敗北を喫して、上京から8年住んだ部屋を3月に引き払って4月から富山に帰る。もう、お腹いっぱいになった。東京の街も、東京の人も、みんな眩しかった。いい加減、おとなになる時間だ。私の好きな漫画に「まわり道にはまわり道にしか咲いてない花がある」というセリフがある。ハンパじゃないルートのまわり道を歩いたら、確かにそんな花はたくさん咲いていたように思う。たぶん、普通の道には咲いてない花が。きれいじゃなくても、尊い、たくさんの花が。宇宙から見たら私なんてちっぽけでどうでもいいサイズの存在だけど、それでも死なない限りはちゃんと生きていかなきゃいけない。普通未満でも、平均点いかなくても。たぶんもうドアはひらいている。さあ足枷にさよなら、振り向くことなかれ。まわり道に咲いていた花をしっかり目に焼きつけて、弱くとも、私は歩いていかなけらばならない。

号泣の紀伊国屋書店にて

いつも文庫本はブックオフでしか買わない。それも、108円コーナーの中からのみ。だから、いつも駄菓子を買う感覚で文庫本を買う。108円コーナーには、いわゆる文豪と呼ばれる作家のものから昨年のベストセラー小説まで、わりと幅広い品揃えが展開されている。だから店舗の規模が、大きければ大きいほどいろんな本に会える。読みたくて探してる本が、少し古めのものだったら、まずブックオフの108円コーナーに行く。108円コーナーで無かったら、普通のコーナーに行く。貧乏くさいかもしれないけど、108円ならためらいなく買えるからだ。読んでみて面白くなくても、108円だったら許せる。

だから普通の書店では、雑誌と漫画の単行本のみを買う。あとは、図書館には置かれない、マイナーな【どうしても読みたい本】が出てきたら普通の書店で買う。私の場合は短歌の歌集などがそのパターンだ。

 

このところ不安で不安で、毎日不安で仕方なくて、とにかく現実から逃げたくて、本やアニメや漫画の世界に没頭している。東京にいる若者で、かつ、帰る故郷もある自分が、どこにも行けないような気がしてしまい、ここではないどこかへ行きたくて。東京の平和な市を逃げだして、物語の世界に没頭していく。恋人たちが逢瀬を重ねる関東のどこかの街、大阪の繁華街、東海地方の自衛隊と高知の海を行き来して、宮城の県立高校のバレーボール部。福岡の精神病棟を脱走して九州を南下、人間は消え宝石たちが生きる架空の世界、野良猫が潜む目黒区に品川区とそれらの周辺。異能力者の集まる横浜の探偵事務所。学校に行くのをやめた少年が店番をつとめる秋葉原のアーミーショップ。銃を隠し持って犬吠崎まで爆走。ヒーローが活躍する日本。昭和の広島。弱者の集まる団地。九州、中国、ロシア、スペインはバルセロナスケートリンク。不思議なことが重なって起こる吉祥寺の街。自分を捨てた人が集まる不思議な島。もうどこでも良かった。没頭している間は現実世界のことを考えずに済む。自分とも誰かとも向き合わないで済む。いつまでもそうしていられないのはわかっているけど、それでも、ここではないどこかへワープしたくて、ページをめくる。

 

久しぶりに「文庫本を買うために」ブックオフではなく紀伊国屋書店に行った。ブックオフで見つからない【どうしても読みたい本】が出現したのだった。紀伊国屋書店は、田舎出の私にですら馴染みの、めちゃくちゃ大きな本屋さんだ。大きなビルのエスカレーターをふらふら上がって、最上階に店舗が広がっていた。文庫本のコーナーに行くと、ブックオフとは全然違う顔ぶれの本たちがたくさん並んでいた。このところ現実逃避にばかりふけっていたせいか、感受性がおかしくなっていたその日、すべてが刺激的だった。平積みにされた文庫本たちはピカピカの表紙を見せつけて、本棚に並ぶ文庫本たちの背表紙はひっそりと、みんな、客の人さし指を待っていた。いろんな本が私を手招きしているようでくらくらした。やかましくたくさんの声がするようだった。本の数だけ現実逃避の道があるという事実が、希望でもあり永遠の絶望でもあった。私が一生かけて物語の世界へ逃げ続けても、一生のうちにこの世に存在するすべての物語を食べ尽くすことはできない。この本が終わったら次はこの本、その次はこの本、そんなサイクルをどれだけ繰り返しても、読む本はなくならないのだ。

探していた本はすぐに発見できた。その作家は他に代表作を持ち、探していたその本はいわば2番手のような位置づけだった。新潮文庫の棚を五十音順になぞればあっさり見つかった。あらすじは知っていたけど、表紙を裏返してあらためてあらすじを読む。これだ、これが欲しかった。死ぬことを選んだ3人が、その前に、南の湾に迷い込んだクジラを見に行こうとする物語。あ、ヤバイ、と思った瞬間に涙がこみあげてきた。本を棚に戻して、店内のトイレでひとしきり泣いた。感受性が逆の意味でバカになっていた。最近しんどいことばかりで、その原因もよくわからなくて、こんなバカバカしいこと普段は絶対思わないのに、現実から逃げたくて本を読んで本を読んでまた新しく本を買いに来た自分がまるで薬物依存の患者みたいに思えた。人と向き合わないで、自分とも向き合わないで、酒にも逃げて、今度は架空の世界に逃げて。塞ぎこんでは、死ぬ勇気もなくて、そのくせ人が死のうとするような本読んで。ねぇ本屋ってちっともやましい場所じゃないのに!なんでこんなに涙が止まらないんだ!

 

わけもわからずにひとしきり泣いたあと結局買った本は、明日から読み始める。家に帰って積み上がった本と酒の空き缶を片づけたらさっきまでがバカみたいに冷静になって、本もアニメも漫画もほどほどでやめられる気がした。買ったのは窪美澄晴天の迷いクジラ」という小説です。

久々書きます

たぶん寒さのせいなんだけど、けっこう弱っています。薬が効いてるとき以外は死にたい死にたいとばかり考えてる。北陸の、葬式みたいな冬が嫌いで逃げてきた東京も同じように寒い。葬式っぽさは薄れても、冬は冬だった。きっとどれだけ南に行っても、冬というのは寒いものなんだと思う。だから、そんな憂鬱な現実と向き合いたくなくて動物たちは冬眠するのかもしれない。そして私は冬眠できないから、冬から逃げるには、多分もう死ぬしかない。11月の装備は80デニール十六茶、おしゃぶり昆布浜風。ゆでうどんに鍋キューブ。しかし12月は来てしまった。ヒートテックと裏起毛タイツとダッフルコートは待機中。私こんな歳になってもまだ、大まじめに、みんな死ねと思ってしまっている。あんまり死にたい死にたいって言ってたらたとえば不慮の事故で死んだとしても自殺って思われる危険性があるからあんまり言わんときます。でも死にたいと口にすることで救われる心もまたあるから、要するに、深く考えんとこ

宇宙から見れば私の存在なんてマジにどうでもよくて、だから人は(そしてバンプオブチキンは)天体観測をするのかもしれません。そういえばこないだ初めて流れ星を見たんです。ナントカ流星群がくるっていうから。彼が「おお、やべえ、ナントカ流星群だって」私「へえ何時?」彼「4時頃がピークらしいっす。行きます?」私「え…寒いし寝るよ……」だったつもりが、アニメ見たりダラダラしてたら晩ごはんもお風呂も遅くなり、結局2:00頃布団に入って、「行く気?」「行きます。俺ひとりでも」「今寝て(流星群の)ピークタイムの4:00に起きれる?起きれる?アラーム何個使う?」とわちゃわちゃ相談して、案の定寝ないまま2:30に出発。どうせ眠くないしついていく我。深夜徘徊デートだ! 寝間着の上からモコモコに着込んで歩いて近所の公園へ。道中でポケモンGO起動したら持ってなかったポケモンを2種類もGETできて嬉しい(いつもの散歩ルートなのに何故?時間帯?時間帯のせいなのか?)。コンビニで缶のコンポタを買ってホカホカ、しかしどういう角度にしても最後の一粒はやっぱり出てこないね。ほどよく街頭のない場所に行ってボケーと空を見上げました。最初は月明かりが強くて星が見えるか不安だったけど、コンビニの灯りからも離れて暗闇に目が慣れてくると、星がたっくさん。星座早見表アプリはGPSが狂ってて仕事してくれなかった。それでも、流れ星、私は1個だけ見れました。彼は2つ見たって。なんていうか流れ星というより夜空に直線が現れるって感じでした。お願い事なんかしてる暇ねーよね!「8頭身8頭身8頭身」めちゃ短くしてコレでも無理だね!まじの一瞬でした。いや、はたして、あれは流れ星だったのかなあ。でも晴れてて良かったです。1時間もいたら冬の大三角もオリオン座も少しずつゆっくり傾いてきました。オリオン座、個人的に冬の王様って感じがして本当に大好きです。たとえば私が道に迷ってしまっても、見上げれば星座ってずっと必ずそこにいてくれるから、強さと優しさを感じて……、星や星座というものの、そういうところが好きです。んー、ロマンチックか。その日はもちろん目にはコンタクトを入れて行ったけど、それでも見えてない星はきっとたくさんあって、私は視力を悪くしてしまったことをけっこう後悔しました。フジファブリックというバンドの「茜色の夕日」で、「東京の空の星は見えないと聞かされていたが、見えないこともない」という旨の歌詞が出てくるんだけど、むしろめちゃ見えるぞ。バーロー。余裕で見えるぞ。あ……、東京23区内とか行くとそうでもないのかな?

 

無善寺の冠DAY、毎月第3木曜「金髪メス豚GIRLの恩返し」の初回は、客が出演者しかいない状況で無事に終わりました。金髪やめてごめんなさい。でも、お客さんが出演者しかいない無善寺がめちゃ久しぶりだったから、アットホームで楽しかった。そしてこれまでレギュラーいっしょだった加藤夫妻の偉大さを感じた(人が集まる)。法師のアコギめちゃ新鮮だし良かった。パクりたい。同レギュラの須藤さんは確かに松野明美を感じさせる女の子でした。笑    みんな第3木曜遊びに来てね、枠空いてれば出演もできるから(ギターアンプしかないけど)。アッていうかスケジュール見たら今月も来月も工藤ちゃん対バンだ〜嬉しい!みんなおいで、生きづらい人きてきっとみんな温かく話してくれるよ私でも大丈夫だったんだから、なんだか人と話したいけど行くところないなって人もきて、こないだ対バンしたMUYOKUさんは無善寺のこと「大人の幼稚園」て言ってた笑、なんか楽しいことしたいな〜プラレールとか鍋とかバブロケットとか(ERAバーでライブ中にやって死ぬほど怒られたバブロケット)(当たり前)

 

年末年始のイベントの出演お誘い、全部おことわりしました。すいません!バカなことしてるなって思うけど、今の体と今の心で引き受けるほうがもっとバカなので最適解をとりました。(無善法師にも無善寺大晦日誘われたけど、帰省したいって伝えたら、おお、そうしなそうしなと言ってくれた)

脱皮しかけのまま飛んでるチョウチョなんておらんやろ!ライブだけが音楽活動の最前線ではないと同業者のギャルが言ってて、私もそれに同意しています。そういえば最近、ディズニー映画のプリンセスをエロい目で見ちゃう変わった人の歌をつくりました。あと「びくんびくん」ていう巨大生物の歌もつくりました。各所から許可が出たら載せます。次のライブは5日府中フライト、前述の同業者のギャルの企画ですね、フチュウといえばね、私の故郷は富山県婦中町(ふちゅうまち)というところの近くなんだけど婦中町が属するのは婦負郡(ねいぐん)←婦中町をフチュウ町と読ませといてコレ初見で読めるわけねーだろって幼いときから思ってる。