無限ワンアップ・改

さゆゆだよお

朗読の採点とかいう無理ゲー

まず知らん人のために。説明しよう!
持ち時間3分間以内で、ステージで朗読や声によるパフォーマンスをして、観客の中からランダムに選ばれた審査員たちが10点満点でそのパフォーマンスを採点して勝敗をきめる っていう「ポエトリースラム」という競技?遊び?があるんです。なんか世界じゅうでも楽しまれてるんだって〜。で、それの日本大会「ポエトリースラムジャパン」ていうのがあります。私も一昨年に話芸の上手なお兄ちゃんに出てみなよーって紹介されて1回出場してみました。
それの、日本各地の地区大会を経ての、全国大会が先日あったそうなんですが、出場者のパフォーマンスにつけられた点数が低かったことに関して苦言を呈している、出場者のツイートやブログを見ました。


以上をふまえて、以下の文は、【こないだまで5年くらい弾き語りやバンドでライブ活動をやっていて朗読やポエトリー関係のイベントにもちょびっとだけ出演させてもらっていたよ】という一般人の声です。


そもそもアートや表現というものに一般ピープルが勝敗や優劣や点数をつけるのってめちゃくちゃ過激なことだなと個人的には思うけど、(まーでもたとえば集客数とか再生回数とか売り上げとかの大小、あと発言力のある批評家とか専門家とか知識人の好き勝手なウンチク、によって優劣がついてるっぽく見えるんだろうと思うよ)
そういう過激なことをされに自ら向かうわけでしょ出場者のひとたちは。めちゃたくましいじゃん。ヤベエじゃん。鋼のメンタルじゃん。まさに戦士じゃん。すごくすごいと思う。
そして、勝敗がつくからには勝ちたい。それはワカル。
でも本来はアートに優劣とかなくない? 超キレイゴトっぽいけど「みんな違ってみんないい」じゃん実際。それはもう絶対に絶対じゃん。だって誰の心に何が響くかはランダムだから。だから採点者も仕方なくランダムに選ぶんじゃないの? 知らんけど。

なんかさあ……たとえば、どうしても生理的に無理な語句(トラウマを想起させるとか)があって、朗読した作品の中にそれ含まれてたから低い点数つけちゃうっていう人とか、いるんじゃないかな〜っていうかそのくらい全然ある思ったけど。じゃあほかに、たとえば耳が遠い人は? 日本語わかんない人は? 子どもは? 客席にどんな人がいて誰が採点者に選ばれてどう評価されるかなんて本ッッッ当にわからないし、っていうか運の部分めちゃ大きいでしょ。でも、その結果がどんなにショッキングだったとしても、採点をdisするのって、採点者の感性をdisしてるんじゃんかよ〜。ちゃんとルールの枠の中からはみ出してないのであればそれが適切な結果なんじゃないの。どの立場がえらいとかじゃなくて、演者は人間、スタッフも人間、そして客も人間でしょ。

【客のレベルが低い】みたいなのもどっかで見た気がするぞー。気のせいかなー。う〜〜〜〜んと、私がその場にもしいたらとしたら、悲しすぎるぞ〜。
「オッ、友達が出てるから行こ!」って軽い気持ちで来てる人だっているよ。もしかしてだけど、客のすべてが出場者と同じくらいの重さの気持ちを持って会場に来てると思ってるのかな?緊張感とかプレッシャーとか。そんなことってありえる? まあでも、予選出場者とかパフォーマンス経験のある人たちとかいわゆる身内ばっかりで客および採点者が埋まるんだとしたらそういう雰囲気もありえるね(仮にそんなことがありえるとしたら個人的にはクソクソクソつまんねー場だなと思うけど)!さすがにそんなことはないでしょう
一見さんや軽い気持ちで来た客に対して、出場者がどんな思いで作品書いてどんな思いでステージに立ってるかまで推し量って点数つけろ!っていうのはヘビーすぎるよ〜。演者が背負ってるものホニャララ?そんなもん知ったこっちゃねーよ!全員等しく、持ち時間の3分間で起こったことがすべて……じゃないの?

あと【テキストそのもののクオリティに向き合ってほしい】(くだんのブログから引用)っていうのは、それは、つまり、
あえて本当にめちゃくちゃ乱暴な解釈で乱暴な言い方しますけど、
「テキストを理解できないバカは採点すんな」って解釈もOKでしょうか?曲解?被害妄想?でも私はバカ側の自覚があるから少なからずそう言われてるように感じて……。おまえに用はないというか。なんか、うん……それが発端で、だからこれ書いてるんですよ。おこだよ。結構おこなんですよ。ムカついてる。だからこれ書いてる。
「うわー私はじかれたー!」と思っちゃった。きっとテキスト以外をみちゃうから。バカなんですよ、だから「この人めちゃエモいしカッコイイ!」とか「この人はパッとしないな〜」くらいの知能で点数つけるしかできないんだけどダメなん? ダメ? ダメなら、客として参加することのハードルめちゃ高いじゃーんポエトリースラム。行けないよ。「うーん、この人、言ってることよくわかんねーし声小さくて退屈、あと服もダサい!良さを1ミリも感じない!」って気持ちで0点つけたら演者にキレられる、そういう世界ですか? そのくらいの感じで評価したらダメ? なんていうか…言ってること(テキスト)を理解するためのそれなりのリテラシー?とやらが必要なんですか? 何言ってるかわかるテキストはちゃんと何言ってるかわかるけどわからんやつは本当にわからんもんで……。でもそのくらいのバカ採点、あってもよくない? まあ服がダサいは極端な例だけど…ダメですか? 私はそういうのあったほうが断然おもしろくなるって思う。誰でも観にきていいよっていう形式をとってる以上、興行なんじゃん。詩人のひとたち頭かたくね?
来場者をふるいにかけて、パフォーマンスを「わかる」人しか来ないように仕向けるのは、純度の高いコミュニティをつくるんならめちゃくちゃ正しいんだと思うし内側の人もいろいろとやりやすいことでしょう。いやそれでいいんならいいんだろうけど。でもそれ外から見たら超閉鎖的だよー!

音声データや紙面を通してじゃなく生身の人間が生身の人間に対面してパフォーマンスしてみせるんだから、そこで何が起こるかわからなくて当たり前じゃん。緊急地震速報で客の携帯がいっせいに鳴るかもしれない。歓声もヤジも飛ぶかもしれない。火炎瓶も……さすがに飛ばないか。なんか友達は自分の朗読パフォーマンスのときにおっぱい出して逮捕されたらしいけど笑。でもそのくらい何でもありえるってば。それがライブじゃん。しかも演者から一方通行じゃなくて「採点」って形で客と演者の相互的なやりとりがあるんだもん、全国大会の平均点がどんなに高いのであろうと、低い採点くらいでどうして動揺がおこるのか不思議なんだけど

 


なんか先月に上野公園でやってた大きなイベント?ラッパーとか、谷川俊太郎も出てたやつ。Twitterでイベントのようす見て、めーーっちゃスゲー!って思った。大きな会場が本当にたくさんのお客さんで埋まってる写真が流れてきて「すごい!すごいなあ!朗読のイベントに足をはこぶ人ってこんなにいるんだ!そんなにヤバイことになってたんだ!これは、私もっと朗読のイベント観に行きたいかも!」と思った矢先だから、やっぱり敷居が高いのかなぁ〜っていう悲しみもあるです。まあ勝手に期待して勝手にがっかりしてるだけなんだけど。やっぱ閉鎖的になっちゃうのな。おーーいーー

言葉って無限の可能性あるじゃん、朗読はめちゃくちゃカッコよかったのにそれを活字で見たら意味不明てパターンもありえるし、朗読はダサいけどそれが詩集って形になったら一生の宝物にしたくなるパターンもありえる。だから言葉の表現って朗読がすべてではない、けど入口ではあるじゃん絶対。好きも嫌いも、カッコイイもダサいも、賞賛も苦情も、そんな二元論なんか超越したすごいヤバみも、とにかく受け手が心ふるわせるには、まずは見なきゃ、触れなきゃはじまらないのに。当たり前じゃん。まずは実際にパフォーマンスをみて、話はそれからじゃん、それなのに、それなのに、それをさあ、はじかれた客はそこにすら至らねーーーーんだよ!