無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

8/14

実家の猫が死んでしまった。こっちに着いたのは今朝で、あんまり調子はよくなかったみたいなんだけど昨日はペースト状のごはん買ってきたらちょっと食欲取り戻してて、でも今朝は何も飲まず食わずでぐったりしていた。たまに起き上がって歩こうとしても後ろ足がふらついて、すぐにまたゴロンと横になってしまう。いつもは爪を切ろうとして足を触ったらすぐに嫌がるのに、それもなすがまま。スポイトを買ってきて水を飲ませたりしてたけど、22時頃、母ちゃんが「もう息するのもつらそう」というので覗き込んだらケホケホと咳き込みはじめた。黒い液体を吐いてた。もう口も半開きになって、目はたぶん見えてなかった。それでだんだん息が止まった。もうだめなんだと思って「ちろヤダよ」って私が泣き出したら、母ちゃんが「ようがんばったやん、ちろ、もう次に生まれてくるがも決まっとるからね、神様とこ行くがやね」って体を撫でてあげた。目が開きっぱなしだったから、無理やり閉じてやった。いつも撫でてあげたときの「気持ちいい〜」の顔にしてやった。

結果的に父ちゃん、母ちゃん、私の3人で看取った。ちろは、私が帰省してくるのを待っててくれたんだと思う。しかも夜の、家に人がいる時間帯に逝ってしまうとは、偉いよ。いろんな部分で乱暴者で、いつも困らされていたけど最後は本当にお利口さんだったよ。本当にすごいタイミングで力尽きたと思う。

ちろは、11歳のときに里親探しのイベントで連れてきた。初対面のときは、「え〜、シマシマ模様とかないじゃん、つまんない」と思っていたけど今では白猫だけじゃなく白い犬もシロクマも、白い動物みんな大好きになった。ちろのおかげだ。小5から今の私になるまで、大学進学のタイミングで実家を離れはしたけど、若者の私のそばにはいつもちろがいた。SNSやブログによく写真を載せるもんだから、ちろに実際に会ったことがない友達までちろのことを覚えて、話題にしてくれた。実家を離れてからも、実家に帰ればいつもちろがいた。正直、心のどこかで、ちろはまだまだ生きると思っていた。15年も一緒にいた家族がひとりいなくなってしまった。ひとしきり泣いたけど、ちろ関係の物の整理とかしてく中でまだまだ泣くんだと思う。

 

時の流れは東京にも富山にも平等だ。去年から、じいちゃんは寝たきりになってしまった。あんなに畑仕事を元気にこなしていたのに。私が帰ってくる前、じいちゃんは「俺が先かちろが先か」って冗談を言ってたらしいけど、ちろが先だったね。帰ってきたぞーとじいちゃんの寝床を覗くと「さゆりお前、丸くなったなあ」(太った)と言われた。そんなん言われんくてもわかっとるから!  ずっと前、じいちゃんが畑仕事できなくなる直前頃、畑で腰掛けてじいちゃんと話した。そのときのことを書いたブログがたぶんこれ→怖い | 無限ワンアップ  なんだけど。こうして世代交代していくんだなって思う。母方のばあちゃんは4月に亡くなった。それで母ちゃんの両親は二人共亡くなった。順番順番にみんな、いなくなる。そうして、いつか私の番がくる。そうやって命が回ってる。私の将来の夢はお母さんになることなんだけど、実家にくるたびに、いっそう強く思う。親族とかの、先立つ人を見送るのはめちゃくちゃさみしいしキツいけど、あなたの血が私にも流れてるんだって思うと、不思議な気持ちになる。私の血の中にじいちゃんもばあちゃんも父ちゃんも母ちゃんもいるんだなって思う。それって軽く最強な気持ちになれる。自殺とかしちゃったら、私に流れてる血筋の人たちまで殺してしまうっていうか、つまりなんとなく失礼な気がする。笑

 

なんにせよ、あの世に知り合いが増えてくのは心強いよね。ちろ、長い間、うちにいてくれて本当にありがとう。ずっと忘れんし、大好きだよ。おやすみ。

音ゲーが致命的にヘタクソ

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友達というか後輩、の、妊娠報告をきいて、後頭部に落雷くらった気分。気が動転したので帰宅してとりあえず手帳ひらいてみたの図。大丈夫だ、わたしは少なくとも9月まではライブの予定があるから生きている理由がある。落ち着こう。素数を数えて落ち着こう。1、2、3、5、7、11、13、17、………19? 23? 29?

明日と明後日はライブ。相乗効果でチェキたくさん出ろ、CD売れろ。黒字じゃ黒字、コラァ。頼む。ワンマンライブも、CD全国流通も、一見すると華々しいことだけど、ぶっちゃけ、どちらも金さえありゃぁできることで、大切なのは、いざワンマンやったらどんな人たちがくるのか、全国流通したところでCDはどのくらい売れるのか、という点なのだった。わたしね、5月のガールズトークフェスティバルでわたしの演奏時間きっと誰もいないんだろうフロア予想してたら普通にそこそこ人がいてくれたの、じっと聴いてくれてたの、わたしが演奏終えた途端に物販に列できてたの、すっごく嬉しかった、それが忘れられん。やらなきゃなって思った。片山さゆ里には音楽の才能もセンスもない。あるのは執念とトンチだよ。

あーそういえばわたしはいわゆる音ゲーと呼ばれるものが致命的にヘタクソ。あんなもんさぁリズムに乗ってハイハイと叩けばいいものを、視覚情報にまどわされてしまって、たとえば太鼓の達人だったら横から流れてくるドンとカッを目で追いすぎて完全にミートする瞬間に叩こうとする、そういう場合大抵タイミング的には遅い。でも目で追ってしまう。そのあたりの、視覚情報と音楽のリズムを合わせるのが、死ぬほどヘタクソなので、太鼓の達人の「かんたん」レベルすら満足にできない。あんなに簡単そうに見えるのになんでうまくできないんだろう。もうそういう病気なんだと思う。フルコンボだド〜ン。

13日の夜から富山に帰る。東京にいるわたしにも、富山にいる家族にも、時間は平等に流れている。弱いまま開かれた世界へ、ほんのわずかな可能性で、もう富山には戻らないかもしれないし、東京には戻らないかもしれないことだってある。さようなら。わたしが乗るときに限って、夜行のバスが事故りませんように。いつものwillerだけど。

2013年頃に勉強教えるバイトしてた立川の子ども強制収容所、ホームページ見たら、2013年当時は1年目だった同い年の社員さん、今見たら、所長に出世してた。所長あいさつのところに顔写真が。ということは当時の所長はもっと出世して本部とかに行ったってことだと思う。幸せって何なのかわからないけど、わたしはこういう、つらいけどやりがいがあるひとつのことに打ち込むっていう幸せの感覚は大学受験で使い切ったから、もうわからない。生まれ変わったら真面目に大学を出て、学校の先生になって、仕事が生きがいって感じの人になりたい。生まれ変わったらそうしたい。今の記憶を残したまま、挫折も失敗も全部リセットされないまま、死んでまた生まれたら、次はもっとうまくやれるのにって思う。なんか、今の自分もなかなかエキサイティングな道筋を歩いてる最中だけど、違ったタイプの幸せも体験してみたかったなって話。無理だけどね。だからそういうのは、本を読んだり音楽をきいたり映画をみたりして、いろんな人の追体験をするわけだけど。

死ぬことばっかり考えてしまうから、毎日ずっと、明日からは全部が余生。先行き困ったら首でも吊ればオッケー。中央線ダイビングも可。余生、つまりボーナスステージ。やること全部が儲けもん。死のう!

彼氏ができてからのあの娘の作品は全部駄作

ちょっと嫌なこと書くから、嫌な予感する人はスクロールせずにここで閉じてね

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これは「カルチャーショック」のひとことで片付けられる話なんだけど、こないだ出た、とあるライブ、本当にがっかりした。クラブでのイベントってどこもこんなもんなんかね? 詳しく書かないけどとりあえず自分の力のなさにがっかりした。主催の人、呼んでくれた人、私の演奏1ミリも聴いてなかったけど、でも、それを振り向かせられんかったのは私の力のなさだ。悔しすぎて、出番終わったら挨拶もせずに帰っちゃった。不義理だから、先帰りますって挨拶くらいして帰ろうと思ってたけど、仲の良い別の演者さんが早口で「別に(そのまま帰って)いいと思うよ」って言ってくれたから、そのまま帰った。何がどうして私が呼ばれたのかわからんくなったし、結果として、何しに行ったのかわからんかった。私のプライドが高いところと、歌小屋で演奏を聴いてもらって当然だと思ってるところは、良くない育ち方をしたとわかっているけど、それを差っ引いても、がっかりした。なんかいろいろ悲しくて悔しくてやりきれなくなった。たぶんイベントの性質が致命的に私に合ってなかった。あとDJタイムっていう文化、嫌いだってハッキリ思った。嫌い。岬たんもDJディスってたけど私もDJ嫌い。理由もまったく同じ、人の曲使って盛り上がってるから笑。ていうか、空白時間を恐れるかのように、何が悲しくて常時爆音で音楽流さんといけんがね。しかも暗くて爆音って、うるさくて雑談できないし、本当に良いことないと思う。知ってる曲が流れるわけでもなし。私は我慢できて20分までだ。ただ、その日来てくれて久しぶりに会った友達が苗字変わってたりしてすごくエキサイトだった。ああ、遠くから来てくれたのに、グダグダな演奏してしまったんが悔しい。帰りに「さゆ里に手紙書いた」って封筒をくれた。家に帰って開けた。内容は、最近どうしてるかとか、そういうたわいない話の中、「さゆりが続けてるのすごい勇気になってる」ってあって、涙ボロボロ出てきた。

工藤ちゃんとのツーマンはとても楽しかった。ご来場のみなさま、本当にありがとうございました。私なんかがね、本当不釣り合いな組み合わせだったと思ってて、工藤ちゃんに好きと言ってもらえるのすごく嬉しいけど恐れ多くもある。さゆりは、そんなに、純なやつじゃないよ。暮らしとか、曲づくりとか、セルフマネジメントとか、活動に関して、工藤ちゃんからのダメ出しがほしい。そのくらいしっかりしてると思ってる。

 

8月のライブ、負けないように折れないように、でも天狗になるのもダメだから、そこそこの自尊心を保ちつつ、その場の反応でやる曲コロコロ変えるなんて馬鹿な真似はいい加減やめて、セットリストはあらかじめきちんと考えて、物販は十分に用意して、

楽しむ。

 

強迫の観念がまず何に関しても強めだから、今はめちゃ食べてるけど、吐かなきゃって観念にちょっとでもがんじがらめになり始めたら、過食嘔吐の癖に落っこちるのは、たやすいと思う。BMIで標準体重を計算したら今のマイナス10キロで、途方に暮れている

痩せてるハゲor髪の毛のあるデブ

ライブをもりもりとやっています。夏たのしいです。

7月、ここまでで特に印象的だったのはポエラボ。詩人とかポエトリーとかスポークンワードの人たちって、ジャンルを問わずかっこいいものは素直にかっこいいと言う、リスペクトをあらわす、そういう文化圏だと感じる、ので、すごく素敵だなあと思う。これからも戦いたいって思う相手がいっぱいいた。みんな強い。そして、かっこいいやつはかっこいい。そういう場所で、私もかっこよくいられたらなあと思って演奏しました。私の一挙手一投足でお客さんの反応が変わる、それを受けて私も変わる。関わって、変わって、また関わって。ナマモノアートの醍醐味を余すことなく謳歌しています。

いよいよ次回ライブは30日の無善寺ツーマン。7月たくさんライブやっちゃったから、めちゃめちゃ集客ができているわけではない。それでも、遠方から来てくれる人もいる。だから全力でやる。工藤ちゃんとは20日の新松戸でも一緒だったんだけど、彼女は、なんというかドライで好きだ。スタッフの方に「最近片山さん、工藤ちゃんとよく絡んでますよね」と言われたが、自ら関わりにいったのはツーマンだけで、あとはイベンターやブッキングの方々がうちらを一緒にすることが多いっていうだけです。笑 私は工藤ちゃんとよく一緒にされるの正直めちゃ光栄なんだけど、謎だ。ぶっちゃけ私でいいのだろうかと思う。下世話な話だけどこないだ生活のやりくりのことについて尋ねてみたところ、工藤ちゃんは音楽活動の収入だけで今暮らしているらしい。すごい。私は工藤ちゃんの足元にも及ばないと思った。そんな工藤ちゃん、9月もすでに2本一緒になるイベントあるや。ツーマン来れない人はそっち来てよ。楽しみだ。あの廃品回収車~♪

 

超不安だから超食べちゃうってな具合で、どんどん太っている。本当にヤバイ。ここ1年で10キロくらい増えた。原因はわからない。あ、よく自炊をするようになったのもちょっと関係あるかもしれない。あ、あと、寝酒の習慣が根付いてしまったからだ。原因それだわ完全に。何かひとつうまくいくと何かひとつうまくいかなくなるとは言ったもので、ハゲが治ったら今度はデブになりました。痩せてるハゲと髪の毛のあるデブ、どっちがいいか? 私は痩せてるハゲのほうが幸せだったかもしれない。結局ないものねだりなんだけど。ってこれ20代女性の悩みか? 字面、どう見ても40代男性の悩みじゃない? ていうかこれでまた抜毛が再発して悪化したらハゲてるデブの出来上がりじゃないですか? あたし一応20代女性だよ? 死にたい! 今日からごはん抜こう…

ライフヒストリー・インタビュー by向坂くじら

文化人類学 春期レポート
ライフヒストリー聞き取り

2016年7月13日
シンガーソングライターとして活動する女性、片山さゆ里さんにライフヒストリーの聞き取りを行った。インタビュー時間は約一時間、新宿のファミリーレストランで食事をしながら。聞き手と片山さゆ里さんはポエトリーリーディングの大会で共演したことをきっかけに知りあい、以後SNSなどでの交流はあったが、ちゃんと話すのは今回がはじめてだった。
片山さゆ里さんは現在二十六歳、東京学芸大学の四年生。留年・休学を経ている。普段はひとりでギターを弾きながら歌うスタイルで活動しており、コンスタントにライブ活動を行っている。


■『片山さゆ里』になるまで

――よろしくお願いします

よろしくお願いします。

――なんでそもそも表現活動を始めたのかから、今日は聞いてみたくって。いつ始めたって言ってたっけ? 201……

2013年! はじめはバンドはじめて、バンドやるぞー! ってなったんだけど、バンドが爆発するのね。そのあと。爆発して、空中分解して、でもライブ予定決まってたの。そういうときって、ハコ(1)の人に頼んでキャンセルもできるんだけど、でも私は責任感が強くて。絶対穴埋めなきゃダメだって思って、じゃあ私ひとりでやろう、みたいな。そのときほぼ未経験でブランク超あったのに古いアコギ引っ張り出してきて、で、やる。みたいなのが、今に続いてる。最初はバンドメンバー見つかるまでのつなぎのつもりだったけど、やってるうちにひとりの味占めちゃって。ほら、誘いが来てもひとりだったらいちいちメンバーに確認しなくてもすぐ返事できるし。機動力はひとりの強みだから。

――もともとは、ボーカル?

ううん。ベース。

――ベースだったの!? ベースだったのにいまギターボーカルやってるの!?

ベースボーカルだったんだ。こんなはずじゃなかったんだよね。(笑)
うち、音楽一家で。両親がウインドアンサンブルのサークルで出会って結婚してるから、家はクラシック畑なの。めっちゃ。で、五歳くらいから高三まで私はクラシックピアノをやるんだけど、中学生の頃に部活とかでいろいろあって、部活やめたり……

――クラシックピアノ部?

ううん、最初はバレー部だった。なんかね、女子バレー部のレギュラー争い的な、なんか、ドロドロすぎて……もうムリってなってやめて、そのあと吹奏楽部に行くんだけど、そこでも私ちょっと問題を起こして。そのあとほぼ帰宅部と同義の茶道部に落ち着いた。

――それが全部中学

そう。中学。もう思い出したくない。(笑)
その部活やめたぐらいに、バンドに憧れ始めるの。富山の田舎だから、まず全然そういう文化がなくて、エレキギター見ただけでテンション上がるみたいな。そこから、まずはギターだと思って、父の職場の中学校に、使ってないボロボロのギターがあるって言ってそれを借りてきてくれて、それでギターを始めた。で、そのあと演劇に走ったりベース弾いたりして一回ギターがおざなりになり、でそれがここで回収されるっていう感じ。つながってる。

――じゃなんか、音楽を選んだのは当たり前みたいな感覚だった?

んー、でも私は物書きになりたくて。なんか、小学校のとき幼馴染と交換ノートしてたんだけど、それが自分のオリジナルの物語を書くみたいな。で連載しあうみたいな。のが、ノート五、六冊は続いて。で、「もも」っていう名前をつけてた。

――ノートに?

ノート、もしくはその行為に(笑) 「もも」って名前つけて……それはでかかったな。それも楽しくてやってたし。あ、で、大きい出来事があったのは、高校に入って、進路に迷うじゃん。で、私は「芸事をやる人を支援する仕事」につきたかったの。表舞台に立つ人の裏方のほうに行きたいなって思ってた。でも大きいターニングポイントになったのが、とあるラジオ番組と幻冬舎がコラボした企画があって。それがなんだったかっていうと、小説の第一話だけ書いたものを募集して、選ばれた六作品くらいが毎週そのラジオのサイトで連載する、みたいな。それにノリで第一話書いて送ったら採用されちゃったの。

――じゃあ連載してたんだ、すごい

してたしてた。もう、本当に……つらかった。ちゃんと幻冬舎の担当さんもついてくれて。それをウェブに載せたら掲示板とかに反応が書き込まれるのよ。それがすごい感動して。書くのはすごい大変だし、なんかファンタジー寄りの話書いてたから回収とかも大変だったんだけど、でもやりきって。それをやってて、やっぱり表舞台に自分も立ちたいって思っちゃったのよ。

――もともとは何で裏方がいいって思ってたの?

なんか、裏方に憧れてた。かっこいいなーって思って。
……いや、というか、表舞台に立つ人たちって選ばれた人たちだと思ってたから、自分も裏方なら、って思ってたのかもしれない。

――あれ? じゃあ、ずっとバンドやりたいっていうのと物書きになりたいっていうのは並行してるんだ。

そう。並行してた。
で、今もなんか、どうしようもなくなったら実家に帰って物書きになろうと思ってる。

――大学に入って、バンド始めるんだっけ?

バンド始めない。演劇始めるの。(笑) もうなんか、避けられない感じだった。学科がそういうとこだから。でも、舞台に立つことの楽しみを知っちゃったのは演劇だった。だからバンドやりたいやりたいって思ってたけど結局演劇に明け暮れてて。

――こんなこと聞いたらあれだけど……演劇やってて留年したの?

体悪かったのもあるかもしれない。鬱みたいな。起きられなかったりした。大好きなはずなのに、稽古さえ行くのもつらいみたいなこともあったよ。

――それはなにかきっかけがあったの?

んー、なんかね。単純に冬だからとか。(笑)でもまあ芝居打ち込みすぎたのは否めない。


■ 「私とまったく同じことをやるアーティストがでてきたら、私はたぶん「片山さゆ里」をやめると思う」

――私はこの質問はあんまり好きじゃないんだけど……自分が何を表現したいのかとか、考える? 聞かれたりして。

たぶん……なんか、誰もいないから。私がこんな人がいたらいいなあって思う人が実際にいたら、たぶん「片山さゆ里」やってない。

――それは、プレイヤーとしてってこと?

ううん、そうじゃない……何が表現したいのって言われたら答えはわからないけど、それこそお腹空いたときにご飯食べるのに理由いる? みたいな感じなんだけど。例えば高校生の時の私が、こんな人いたらよかったのにって思うような人……
で、私とまったく同じことをやるアーティストがでてきたら、私はたぶん「片山さゆ里」をやめると思う。

――こんな人いたらいいのにって、どういう人?

……(長い沈黙)……わからない。なんかね……ひとりじゃないよ、って言ってくれるみたいな。これ思ってるの自分だけじゃなかったんだって……言ってくれるような感じ。何が表現したいの、みたいな、それは考えたこともないけど。

――ひとりじゃないよって言ってくれるアーティストは、いなかったの? プロとかで

えっとね、思えば、いた。だから多分……うまく言えんわ、ごめん。……(長い沈黙)……だめだ、わからない。答えられないや……片山さゆ里みたいなことをやっている人がいたら、片山さゆ里をやめると思う。でも、いない。絶対、いないと思う。フォークギター持ってポエトリーリーディングをやる女子が現れたとしても……でも、その人が「万引きがやめられない」とか「親の宗教から逃げたい」とか(2)そういうみんながあんまり歌わないようなことを歌う。そういう人が現れたらやめると思う。でも今のところいないんだよね。
……どうかなあ。わかんないや。

――もしそういう子が現れたらさ、どっちかっていうと、嬉しい? いやだ?

嬉しいと思う。

――なに嬉しい?

なんか、仲間がいる! みたいな。っていうのは、演奏スタイルの話ではなくて、君もこういう、おんなじ気持ち持ってたんだみたいな。それこそそういうさゆ里のコピーみたいな人が現れたら、あー、君も生きづらいんだ、頑張ろうって思う。

――ちなみに、さゆちゃんの歌って自分の体験から作ってるの?

うーん、三割ぐらい。「親の宗教から逃げたい」はフィクション。万引きはやってない。(笑)
私、自分の髪の毛抜いちゃう病気で。それがやめられないっていう歌作ろうと思ったけど、パンチ強すぎると思ったから。この苦しみがわかる人ってたぶんいないから、窃盗癖くらいならみんな受け止めてくれるかなあと思って窃盗癖にすり替えた。
バスジャックも、あれは、死んだ後もずっと誰かの心にいたいっていうことが言いたくて作った。

――実はだけど、私も小学校から中学校くらいまで抜毛症だったよ。というか、さゆちゃんのツイートを見て抜毛症という病気があることを知った

ああ、そっか……よかった。

――あのとき自分に起こっていたことは病気だったんだ、みたいな。それでさゆちゃんに興味を持ったっていうのもある。
抜毛症なのはもうずっと、長いこと?

うん。長いね。

――どのくらいから?

小五くらいから抜毛は始まってて、いよいよやばくなったのは一人暮らししはじめてから、だれも止める人がいなくなってからだな。

――抜毛ってきっかけとかがあるもんなの? 私は露骨にいじめから始まったんだけど……というか、最初わざとやってたんだよね。いじめられてるってことをわかってほしくて、ストレスで髪が抜けてるっていう演出をするために毎晩抜いて枕に散らしてたのね。それがなんかくせになっちゃって、っていう感じだったんだけど……

私は天然パーマがいやで。すごい、いやで。ちょっと男子にからかわれたりもしたし。で、この縮れ毛がーって指で触ってるうちに、なんか抜くようになった。

■ 私にしか見えてない星

これはライブでよく言ってることなんだけど、私しか見えてない星があるの。みんな見えてない、けど光っている星があって……でも私見てるのね。みんな気づかないけど、絶対それを見てる人がほかにもいるはずで、私はその人と会って、この星、きれいだねって話をしたい。すごいちょっと、ポエマーだけど(笑)……っていう気持ちで、活動してる。それがだから、やってる理由かな。
なんかね。爆発的に共感してくれる人がいたり、みたいなことはないんだけど、でも片山さゆ里イイネって言ってくれた人はずっと応援してくれるし。

――最終目標はなんなの? 売れたい?

今の目標は、谷川俊太郎と対バン(3)することなんだけど(笑)
最終目標は、私が死んだときに全集とか出ればいいなって思ってる。なんか著作集みたいな。

――紙で、ってこと? CDじゃなくて、紙で

紙で! CD……(笑) CDであるべきだよね。だからやっぱ物書きになりたいんだと思う。なんか、図書館でバイトしてるんだけど、地下の書庫に行くといろんな文豪たちの全集があって、なんかいいなあって。

――現世で売れたい! とかはないの?(笑)

現世ね! でも、私が売れるってことは、私に共感を示す人が増えるってことだから、それって結構日本ヤバいかな(笑)とか思うけど……
なんか、売れたい、というよりは、影響力を持ちたい。

――あっわかるわかる。私も発言力持ちたい

そうなんだよね。片山さゆ里が言ってるってことは、結構大事な問題なんだこれ、みたいな。って言ったら宗教でも開けば? って言われるんだけど。(笑) 影響力持ちたい。

――なんか、そう思うようになったきっかけとかはあるの?

それはね、大森靖子(4)ちゃんがまだインディーズのときからつぶやきとかを見てて。段々発言力を得ていく様子を見てるから、すげえ、私もあんな風になりたい、っていう。ひとつのモデルとして憧れてるのはあるんだけど、なんか、影響力持ちたい……なんでだろう。
私はどちらかというと弱者のサイドだから、弱者のサイドにいて、で、発言力を持つようになったら、みんなきっと弱者のほうを見てくれるんじゃないかなって思うんだよね。だから私は自分が脱毛症ってこととか隠さないまま、発言力を持ちたい。

――弱者、っていうのは、どういう面での弱者?

まず、すごい思ったのが、髪の毛抜いちゃうっていうのは、なんかまあいろんな女の子を見てるとさ、当たり前に髪の毛あるじゃん。だからまずそれを幸せに思えよチクショーみたいなところがあって(笑) こちとら髪すらねえんじゃボケみたいな(笑) で、そういうのって人に言いづらくて、何も言えなくて抱え込んでるような人とか、あとなんか、私はクッソまじめで。ダメにまじめで。授業の提出レポートを、完成したのに「これ自分の中では完成してないから」って提出しなかったりした。

――それ単位落ちるよね

落ちる落ちる。バカじゃん。だから、なんか生きづらい人って確実にいて、それが万引きやめられない人とか、親の宗教から逃げたいとか、そういう人たちを弱者としたら私はそっちの側にいたいし、それをみんなに知らせたい。だから、発言力が欲しい。

――やっぱさ、生きづらいよね

うん。

――ずっと?

うーんとね……なんか、高校生ぐらいのときから、こんなこと絶対親に言えないけど、生きていることに罪悪感があるのね。生きてることに罪悪感があって、あはは……(笑)
たぶんそれは、両親が共働きっていうのもあるし、兄と弟がすごいしっかりしてるっていうのもあって、主に自分が穀潰しだから。だと思う。この罪悪感は。

――高校の時点で?

うん、高校の時点では思ってた。そのとき思ってたのは、なんか、私がいなくなればお母さんは楽になるのにみたいな。家荒れてて、そのころ。でなんか酔っぱらった母ちゃんが、「あんたなんか産まんければよかった」って言ったことがあった。で、翌日すごい謝られたんだけど……それがすごいショックだった。

――そのころからずっと、生きづらいなあって

生きてると金かかるじゃん。だからバイトしてるときはちょっと生きづらさから逃げられてる。

――歌ってるときは?

歌ってるときは……歌ってるときは楽しい。生きづらいとかはないんだけど、歌ってるときは、なんか、人がフロアにいて、見てくれてて、歌ってるときはあたし生きてていいんだ、ここにいる価値がいまは少なくともあるなって思える。

――で、片山さゆ里イイネって言ってくれる人がいて

そう、そういう人たちがいて、私いていいんだって思える。
生きづらい人ね、いろんなタイプの生きづらさあると思うけど、うまく行くといいなあって感じ。いろいろと。



(1) ハコ バンド用語でライブハウスの意
(2) 「万引きがやめられない」「親の宗教から逃げたい」 片山さゆ里発表の曲名
(3) 対バン バンド用語で共演すること
(4) 大森靖子 弾き語りなどで活動する女性シンガーソングライター

 

text   by 向坂くじら

アトラクションがはじまる

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ニゾンスクエアガーデンのツアー初日、八王子オリンパスホールのライブに行ってきた。2011年の夏に日比谷野音のワンマンで観たぶり。バンドTとタオル首に巻いたあの格好の人たちがたくさんいる、非日常な「あの感じ」久々だし、ホールのにおいにドキドキした。聴きたい曲はあんまりやらなかった、でも、すごく贅沢な時間だった。ホールだったんだけど隣の席の人が最後まで来なかったから体たくさん動かせたし。照明キレイ、スモーク派手にプシュー、みんな跳ねるし床が揺れる、たまにオフマイクの声。ああ、金かかってるなあ。

新譜、めちゃくちゃどハマりってわけじゃないけど。すごく良い曲はすごく良い!って感じ。何回も聴いてたら好きになるかなあ? 前のアルバム(ふくろうジャケ)が好きすぎたから……。

 

あー!私も早く歌いたい!と思ったら明日ライブでした。胎動ポエトリーラボ、呼んでいただき光栄です。20分間、何をどう見せようかなあ

夏ライブ開幕

ギターのピックアップ、バッテリー切れかと思ったらこないだのライブで音出なかったから多分どっか断線してます。さようなら。ありがとう。

 

6日は渋谷ラッシュでライブ。いろいろあってめちゃくちゃ遅刻して、泣きながら電車乗って泣きながら道に迷って泣きながら到着して泣きながら頭さげて、演奏しました。いつにも増して感情の奴隷になってしまった演奏でした。でも手ごたえは、OK.

みてくれた方ありがとうございました。あれはあの日の全力。あそこまで野生的なライブは久しぶりでした。夏のはじまりには申し分ないです。悔しいとか悲しいとか、大きな声で叫べるからみんな、音楽やろう、ライブハウスでライブやろう。去年の時点ですでに履きつぶしたサンダルで、必死で渋谷の街を走ったら、靴擦れして、両足痛い痛いっていってたらド真ん中ズンのドラムのタグジョンダがキズバンくれた。しかも2まい。つよい。足の裏に貼って、いくぶんラクに帰れました。ありがとうございました。

 

あー、そうだ、富山県ではばんそうこうのことキズバンっていうんだよ……うん……

 

 昨日は、アクティブでした。恵比寿のリキッドルームに不可思議/wonderboyの展示を観に行ったり。

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思いがけず小中の同級生のO氏とバッタリ。無善寺のライブ音源きいて「正直カッコイイと思った、CDくれ」って言ってきた人です。笑   元気そうで良かった。GOMESSバンドも良かった。みきちゅさん美しすぎワロタ。

私は死んでから評価されるのは嫌だ。ちゃんと生きてけよって姿勢正された気分。

 

そのあと新宿にハシゴして、ライブを観た。ここにいるよ杉浦(ド真ん中ズン)vs小棚木もみじ!新宿の、すごい名前のバー

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なんというか、もう、私も早くライブやりたいなって思った。それに尽きる。

 

ヤバかわいいチューナーを買った

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ふくろうは縁起がいいんだぜ、不苦労とか福郎とかって。