無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

2.砂の男

めちゃくちゃ良い曲ができてしまった。歌詞も歌も。めちゃくちゃいい曲なんだけど、いかんせん砂の男のことをたった2分半の歌で語り尽くすのは無理があると思った。無理がある。

古い人の書いた小説やエッセイをおもしろいと思えない。古い人という言い方は乱暴すぎるか。昭和や明治や大正時代の文学。わたしは本が好きで、人の平均よりは読んでいるほうだとは思う、でも、その頃の文芸って、とりあえず読んでみたけどおもしろかったかといえば、正直そんなでもないなというものが多い。それはひとえにわたしの成熟が足りてなくて教養も足りてないせい。でも砂の男の書いたものはわたしのようなバカでもわかる言葉でかかれているのでとても好きだと思った。あり・をり・はべり、とかそういうのあんまりない。あっても、意味がおのずとわかる。これほんとすごい。上野駅で、公園の砂場で、青空の下で、この人は明治時代たしかに生きていたんだなあと思う。「才能」というものとの出会いってあんまりないけど、このひとのスキルは「才能」そのものなんだとハッキリ思った。だって、文学全集に名前が並んでる系の文豪の中で、初めて身近に感じたひとだった。ポジティブな感情よりも、特に人に対する羨望や嫉妬・やっかいな自意識・自己嫌悪・やるせなさが驚くほどリアル。こいつ間違いなくめんどくさい奴だ。そしてめんどくさい奴は愛おしい

大人になってから図書館が楽しくなったのは砂の男を知る頃からだったような気がする。一日の予定がからっぽの毎日を過ごしていた時期、図書館に通っていた。図書館は誰も拒まない。書架を歩いたところで、膨大な書物の、大半は興味がないものばっかり。しかしすべての雑草には名前がある(名だたる文豪たちを雑草呼ばわりするんかーい)。 なんというか、世界に対する語彙が増えると、世界の見え方がグッとおもしろくなるし、人の名前を知るだけ、図書館がおもしろくなる。自分にとってただの背景だった棚も。この人の名前知ってる、この人も知ってる。それが増えていくのが楽しくて図書館に毎日かよった記憶がある

あと、作品と作者は切り離して考えるべきかという議論が、芸術の世界ではしばしばある。知らんけど。あると思う。作品の素晴らしさと作者の人間性は無関係だとかなんとか。砂の男の人間性はクズだけど、作品は素晴らしい。昔、新宿の小さいライブハウスでたまたま初めて見たバンド(今めちゃくちゃ売れとるわ)の曲がちょっといい感じで、帰路でHPやブログをググったら内容や口ぶりがメチャクチャ気に入らない感じで、それで音楽性もなんか嫌に思うようになってしまった。ということがあった。だからわたしみたいな奴は、砂の男と同じ時代に生きて彼の人間性に触れなくてよかったかもしれない。作品だけに触れてて、よかったのかもしれない

一昨年くらいに読んだ小説の中で、登場人物のAV女優が「女優として、必ず歴史に名前を残す方法があるの」と言って、人気絶頂のタイミングで、撮影中に焼身自殺をする というエピソードがあった。若い姿で遺影になってしまうことには強い魅力がある。それで死の淵にふらふらと吸い寄せられる。そういう層が一定数いる。わたしもその中のひとり。何バカなことを考えてるんだよ自分、とはわかっているけど、不謹慎だけど、享年26とかかっこよく思えてしまうことがどうしてもある。すぐれた芸術家が短命なのは宿命なんだろうか。それとも逆で、短命だからすぐれているように見えるだけだろうか。これもわたしにとって永遠の問題。砂の男は26歳で死んでいる

ついでに言うと偉大なロックミュージシャンは享年27歳が多いらしい。27歳。わたしは27歳をすごす1年間でわたしは人生でもっとも死線に漸近して、無事に離れた。本当に死んでいたかもしれない。27で死んでいたらその後作品がメチャクチャ評価されていただろうか。だとしてもわたしはそれを見ることができない。死んでるから。

砂の男のことをたった2分半で語り尽くすのは無理がある。だからまた何か作品ができる。かっこいい。

 

「わたしも雪の降る街に生まれたよ でも、もう戦争はなかったよ」

2.砂の男 2'30" Play:E♭