ペトリコール
雨じゃん!雨だねー。雨だし、閉館でいいやろ今日、閉館で、いいよー!いいよ閉館でー!だれもこないよ!だれも……こないよ……だから閉館……に…閉館にしよう……しようよ…………ウワァァァーーーーッッッッッ
………ちゃんと出勤した!(えらーい)
自分の調子が悪くなる時はどんな時なのかようやく掴めてきた。ずばり、寒い日、雨の日、生理の日。以上である。したがって梅雨の時期は戦。
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今月から、物販にて新しくライブ音源を販売する。
【💐ライブ盤を作った💐】
— 片山さゆ里 (@neutrino_1945) June 9, 2018
「2018年5月のドキュメント」
ライブ音源、1000円
6/10のライブからライブ会場物販にて手売り
1.解放迷路
2.コンタクト
3.森に死す
4.Break
5.万引きがやめられない
6.無題
7.守護神
8.明日からがんばる
9.バスジャック pic.twitter.com/qCqGdsmoSv
CDになってない曲が4曲入っている。届くべき人にちゃんと届くといいな。
9月のワンマンと、その先への、布石をどんどん打っていくよ~
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6月のライブ活動が開幕。全部で7本ある1本目、昨日は無力無善寺でライブだった。
誰も来ないかなと思ったら高円寺THUNDERのみきとくんが来てくれた。自分のライブは久しぶりに超絶ダメだった。悔しい。凹凹凹凹凹凹って感じ。へこみ.
出演者の方、みなさん良かった。水野さん良かったなー、くらった。単純なストロークでもギターが上手い人のは目が離せなくなる。弾き語りってシンプルだから全部バレる。はー、がんばろ。ハカラズモというバンドの関口さんがオープンチューニングを使ってらしたので、打ち上げで少し尋ねてみたら「ダドガドっていうやつです」「だどがど?」ググったところ、どうやら6弦から順にDADGADの音に合わせるチューニングのことらしい。やってみよ。4月に対バンだった「にたないけん」さんもオープンチューニングの曲をやってて、それは「オープンD」を使ってらしたとのことで、やってみたが、「まったく別の楽器を弾いているよう」に感じた。昨日関口さんもおっしゃってた。チューニングを変えるだけで全然違う楽器になったみたいに感じる。手癖からの逸脱にはもってこいだ。
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先月、大宮ヒソミネで久しぶりに対バンだった大河内さん(男性)に、帰り道で、「(うしろ姿が)完全に“お母さん”じゃん」と言われたのが今になってジワジワ効いてきている。きつい。もちろん私は未婚だし、子どももいない。しかし、服装や髪形が保守的になるというか、派手なものを避けがちというか、つまり老けはじめている自覚はある。テキトーでいいや、が多すぎる。このままではいけない。若作りをしよう。スカートは短くしよう。ワンピースを買うならAラインでないものを。髪の毛は明るい色に染めてグリングリンに巻こう。汚いスニーカーをはくのをやめよう。ちなみにここまで書いているのは、音楽をやっていない時の話である。そもそも音楽活動をするのに金髪のウィッグを使っている反動でオフ時は地味になってしまう、というメカニズムがある気がしなくもない。しかしそんなものは言い訳なのだ。そう遠くない未来、見た目ではなく身体そのものが老けはじめるのだから、肌とか、もっと老けてくんだから、今から見た目が老けててどうすんだよ。はあ。あー。だれかオシャレ指導してー
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RADの新曲が炎上してる件を見て。いろんな人がいろんなことを言っているなあ。
これは、まったく的外れな観点かもしれないんだけど、私は、戦争詩を書いてた詩人のことを思い出した。高村光太郎とかまどみちおとか。反戦だとか、二度と繰り返してはいけないねっていうのではなく。戦時中、日本国民の戦意を高揚させるために書かれた詩。
なんか、漠然とだけど、ポンッと思い出したのはこういう。うーん。時代だって違うし、ようじろーの政治的思想がどうこうっていう話ではないんだけど。ただ、連想したという。
アーティストって、影響力もってるんだなあって思った。びっくりしてる。
芸術と社会、とりわけ芸術と政治の話、インターネットで軽率にできないなって感じがずっとあるよ。私だけだろうか。なんか。どうしてだろう。よくないよね。いかにも現代の若者って感じか。選挙も事前にいろいろ調べてちゃんと行くけど。日頃ニュース見たりして考えることはたくさんたくさんある。私なんか影響力も何もない、ただの一市民ではあるけど、それでも、なんか思ったこと軽率に言いづらい。この年齢で、この性別で、この立場で、言うべきこともたくさん、多分ある。でもなんか、気軽に話しづらいんだよな……っていうことすらソーシャルでは言いづらいからこうしてこっそりブログに書いてる
このへんに関してはまたこんど書く
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そういえば昨日、久しぶりに外で飲酒した。大丈夫かな、と思いながら「ほろよい」を1本飲んだ。
大丈夫だった。
というのも、去年やらかしてから、飲酒には本当に気をつけていて、家の外では絶対に飲まないようにしていたのだ。ライブハウスでも居酒屋でも、絶対にジュースしか飲まない。誘われても事情を説明して断った。
さあこれから出勤だ、とか、友達と会うぞ、とか、ライブやりに行くぞ、というときに、お茶買おうと思ってコンビニ入って、酒のコーナーの前を通ったら、自然にストロング系缶チューハイの品揃えに目がいく。今も。いやいやいやいや今そこ見る必要ないでしょ。おまえ。そこ見る必要、皆無でしょ。それなのに視線がそこに向かう。手は伸ばさない。でも、あー、未だダメなのかと思う。今飲んだらこのあと楽しくなるだろうな~とか、ようやく手に入れた健康や生活や精神の安寧などの全部をかなぐり捨てて酒に溺れていくのも気持ちいいだろうな~とか。そういう、一瞬よみがえる、悪い誘惑や記憶を、版画のでっかいローラーで塗りつぶし、今日もなんとか。やる。もっと確実に大丈夫になりたい。