無限ワンアップ・改

さゆゆのメモ箱

就職したい(第6話)

私がシンガーソングライター「片山さゆ里」として弾き語りライブ活動を始めたのが2013年頃だ。(ちなみに第2話参照の通り、このくらいの頃からメンタルの健康もあやしくなり始めた)

このときの「音楽で食えたらなあ」という気持ちはかなりささやかなものだった。なんていうか、そこまでちゃんと音楽活動に対してマジではなかった。私も大学の卒業要件の単位を取得して卒業したら、大学の同級生と同じようにして就活を始めるんだと思っていた。なのに、うっかりライブ活動が調子に乗り楽しくなり、次第に音楽で食いたいという欲求も強くなっていったのだった。

 

話が少し逸れるんだけど。私にとって、自分がつくったCDに対してお金を出してもらえるという体験は、なかなか衝撃的なものだった。私がそれまでしてきたアルバイトはラーメン屋のホールとか、とんかつ屋の売り子とか、スーパーのレジとか、時給制かつ肉体労働的なものが多かった。それで、働くことやお金に対してわりと体育会系な価値観を持っていたんだと思う。つまり身体を動かしたぶんだけお金をもらえるのだと。だから、自分のCDが売れるという体験をしたとき

「こんな簡単にお金ゲットしちゃっていいの!!??」

と驚いた。いやいや決して「簡単に」作ったCDではない、けど、だけど…それは私が勝手に作った、私の”好き”を詰め込んだ創作物である。それにお金を払ってくれる人がいる事実に、胸が熱くなって熱くなって、たまらなかったのだ。(そしてこれは同時に、【ファン】という存在と初めてふれあった瞬間でもありました。この素晴らしい幸福についても、いつかちゃんと書きたいです。応援してくれるみなさん、いつも本当にありがとうございます。)

 

話を戻す。

【音楽で食べる夢】というと漠然としているけど…最終的にそうなるためのステップとして、具体的にあのライブハウスに立ってみたいとか、あのイベントに出てみたいとか、あの人と共演してみたいとか。そういうのをたくさん思い描いた。それらの細々とした夢たちが現実になったり、あと出演したライブでお金をもらえたり前述のようにCDが売れたりすることで、私は【軌道に乗ってきたぞ】と思い込んだ。

関わる人が増えること、イベント出演が増えること、名前を知ってくれる人が増えること。自分の名前が大きくなっていくことは、いわば「すごい速さの乗り物に乗っている」ような感覚だった。がんばったらがんばったぶんだけ、面白いように加速する乗り物。それが、いつのまにか自分に制御できない速さになっていることには気づいてた。同時に、気を緩めた瞬間に振り落とされて死んでしまうことも自ずとわかっていた。だからスピードも気持ちも緩めなかった。この席を手放すわけにはいかない。私はライブ活動に、文字通り没頭していた。犠牲にしていた生活や健康は、もう取り返しがつかなくなる寸前までボロボロになっていた。それでも私は加速する乗り物にしがみつき続けた。なぜならライブ活動は、音楽を仕事にして音楽で食うための大切なステップであり、当時26歳の私の、すべてだったからだ。

 

でも、結局そのスピードについていくことはかなわず、私は一度振り落とされて死んでしまう。

2017年の春、私は東京の下宿を引き払って富山の実家に帰った。ライブ活動は一時休止状態になった。

 

 

第7話に続く